原爆   M.M


原爆について二冊の本を読みました。

まずは生命論の課題である「ヒロシマ・ノート」を読みました。この本は、広島の悲劇は過去のものではなく、一九六三年の夏に現地を訪れた筆者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告を受ける被爆者たちの「悲劇と威厳」に満ちた姿で、医者たちの献身であった。筆者と広島の関わりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤を明らかにして、現代という時代に対決する告発の本でした。
 まず私が驚いたのは、沖縄原爆被害者が二十年間も放置されていたことです。広島や長崎で被爆した後沖縄に戻った方々がいたそうです。筆者はそのことを「傷ついた自分自身を原爆症治療についてまったく白紙の状態の離島へ追放することだった」と言っています。例えば、沖縄相撲で八重山群島横綱をはるほどだったひとりの青年が長崎の工場で被爆して石垣島に帰り、彼は突然半身不随になったそうです。島の医師に相談しても、沖縄の医者は原爆症について全くなにも知らず、彼は放置されたそうです。彼以外にも一三五人の被爆者たちのほとんどが体の異常を感じているのにも関わらず、沖縄の医師たちによって、疲労やノイローゼと診断され放置されたそうです。どうして二十年もの間放置されなければいけなかったのか。二十年というのはとても長い年月で、二十年の間に少しでも早く治療できなかったのか。
 そもそも、私は原爆症について全く知識がない状態でした。学校の社会などで、原爆が起こった時期や、原爆が落とされた理由や、原爆が落とされた時の状況などについては学ぶ機会が沢山あったけれど、原爆症について学ぶ機会はほとんどありませんでした。今回調べてみると、原爆投下から七十年たった今でも発症するケースがあるとのことで、放射線の恐ろしさを物語っていました。母胎内で被爆した子供にまで発症したりしていました。本当には恐ろしいものだと思いました。

二冊目は、「黒い雨」です。この本はタイトルにもある通り、「黒い雨」にうたれただけで原爆症になってしまった姪との不安と忍苦の日常を描いた本でした。
 広島市への原爆投下により、閑間重松とシゲ子の夫妻は戦時中広島市内で被爆し、その後遺症で重労働をこなすことができないでいました。養生のために散歩や魚釣りをしても、村人から怠け者扱いされる。そして重松は、村在住の被爆者仲間を説得し、鯉の養殖を始めようとしました。また、重松は、同居する姪・矢須子のことでも悩んでおり、婚期を迎えているのに、縁談が持ち上がるたびに被爆者であるという噂が立ち、縁遠いままでした。昭和二十年八月六日朝、重松は広島市内、シゲ子は市内千田町の自宅でそれぞれ被爆し、矢須子は社用で爆心地より遠く離れた場所におり、直接被爆はしてはいませんでした。しかし、縁談が持ち上がるたびに「市内で勤労奉仕中、被爆した被爆者」とのデマが流れ、破談が繰り返されていた。しかしまた、矢須子にまたとない良い縁談がきます。そこで重松は、彼女に厳重な健康診断を受けさせた上、昭和二十年八月当時の自分の日記を取り出して清書しようとしました。矢須子が原爆炸裂時、広島市内とは別の場所にいたので、被爆者ではないことを証明するためにがんばっていました。しかし実際には、矢須子は重松夫婦の安否を確かめるため船で広島市に向かう途中、瀬戸内海上で「黒い雨」を浴びていました。しかも再会した重松らと燃え上がる広島市内を逃げ回ったため、結果として残留放射線もたくさん浴びていました。黒い雨をあびたことを書くべきか重松は悩んでいました。昔ならば、黒い雨の中に毒素があったことなんて誰も知らなかったけど、今では毒素があったことは誰でも知っていることだったからです。しかし、その悩んでいる間に矢須子は原爆症を発病しました。医師と必死に治療しても、病状は悪化し、縁談も結局破談になってしまいました。これを読んで、私は「黒い雨」というものについて初めて耳にし、調べてみました
黒い雨とは、原子爆弾投下後に降る、原子爆弾炸裂時の泥やほこり、すすなどを含んだ重油のような粘り気のあるような大粒の雨で、放射線降下物(フォールアウト)の一種だそうです。この黒い雨は強い放射線を帯びているため、この雨に直接打たれた人は二次的な被曝をうけ、吐血などの症状を引き起こしたそうです。大火傷・大怪我をおった被爆者達はこの雨が有害なものと知らず、喉の渇きから口にするものも多かったらしいです。原爆被災後、他の地域から救護・救援に駆けつけた者も含め、今まで何の異常もなく元気であったにもかかわらず、突然死亡する者が多かった。人間だけでなく、水が汚染され、川の魚などもどんどん死んで浮き上がり、この地域の井戸水を飲んだ人も被爆したそうです。黒い雨は直接被爆しなかった場所にまで降り注ぎ、広い範囲に被害をもたらしたそうです。矢須子は結婚の縁談の話が来るたびに被爆していると思われて、ほんとうにつらい思いをしたのだろうなと思いました。直接被爆していないのに、黒い雨によって被爆してしまって、原爆が引き起こしたものは本当に大きなものだなと思いました。そして、矢須子は義父母に迷惑をかけたくないと体調が悪くなっても自分で治そうとしていましたが、原爆症だと気づいた時には入院しないといけない状態になっていました。
原爆の直接の被爆も本当に恐ろしいものだけれど、そのあとにくる黒い雨が及ぼすものも本当に恐ろしいものだということが改めて知ることが出来ました。私は小学生の時に広島の原爆の本を読んで、すごく広島の資料館に行きたかったのですが、行けてないままなので、広島の原爆資料館に行って、もっと詳しく原爆について知りたいと思いました。