カウントダウンヒロシマ    T.K


 初めて、連合国側から見た広島についての本を読んだ。読破して初めて思ったことは、これが七十四年前の世界なのかということだ。指揮の体系もきちんと成り立っていて、通信網もしっかりしている。一人一人が責任を持ち、原爆を投下することを目標に、自分の仕事を全うしている。日本史の授業でそんな話を聞いたことはない。原爆が投下されたことは終戦に繋がったかもしれないが、それよりももっと根本的な点で日本は連合国に敗北していたのかもしれない。
 この本を読んで印象に残ったエピソードがいくつかある。まず、原子爆弾の発案者であるレオ・シラードの話だ。彼はもともとナチスドイツに迫害されたユダヤ人で、彼らが原子爆弾を持つことを恐れた。それに対抗するためにはアメリカが同じ原子爆弾を持つしかなかった。そして“マンハッタン計画”は始まった。しかし、一九四五年、ドイツは敗北寸前。その上、ナチス原子爆弾など開発していないことがわかった。すなわち、核兵器を持つ理由が無くなってしまった。レオ・シラードは、原子爆弾の開発を阻止する運動を始めた。このとき、レオ・シラードは核兵器を使用することが核に怯える恐ろしい時代の幕開けになることにも気づいていた。しかし、もう止められるはずもなかった。発案者の手の届かないところまで開発は進んでしまったのだ。これを知って、何とも言えない気持ちになった。核の恐ろしさに開発者が気づいていないはずがないのだ。なのに、原子爆弾は日本に投下された。たくさんの人が開発に関わり、多額の税金を費やしたこの開発を無駄にするわけにはいかなかったのだ。核兵器は廃絶すべきだ何故アメリカは核兵器を使用したのかと思っていたが、やむをえないことだったのかもしれないと思った。もちろん、認めるわけにはいかないが、アメリカにも核兵器の開発をやめようという人たちがいたということは少しでも私たち日本人の救いになるのではないか。
 二つ目は、ポツダム宣言について。七月二十七日、連合国から日本にポツダム宣言が出された。無条件降伏、さもなければ完全な破壊。当時の日本は、鈴木貫太郎総理。しかし、陸軍大将はこれを真っ向から拒否した。彼らは本土決戦こそが日本の名誉と高潔さの為に必要であると考えたのだ。鈴木総理は迷った。迷った結果、“黙殺”という言葉を世界に発した。これは彼なりに精一杯考え導いた結論なのかもしれない。逆らえないこの苦しみを、黙殺という曖昧な言葉で表したのだ。どうか、良い方向で捉えてほしい。そう願っていたのではないか。しかしそれは連合国には届かなかった。彼らはこれを拒否と受け止めた。彼らは日本のことを知り尽くしてはいなかった。そして、広島に原爆が落とされることになった。もしこのとき、アメリカが軍と内閣の温度差に気づいていたら、何かが変わっていたかもしれない。そして温度差に勘づいていたアメリカ人は存在していたのだ。それは、ヘンリー・スティムソン、大統領とマンハッタン計画の橋渡し役で、命令系統において非常に大切な役割を担う人物である。彼は、日本人が皆戦争を続ける気ではないことに気づいていた。連合国が警告を発してその人たちに届けば、戦争を終わらせる為に何らかの動きを模索するのではないか。そのために彼が思いついたのは天皇制の存続。しかし上手くいかなかった。トルーマン大統領は早く(ソ連の参戦前に)戦争を終わらせることしか頭になかった。その為には手段は選ばなかった。進むしかなかったのだ。一度初めてしまったものをもう止めることは出来ない。そのことを痛感した。
 この本の中で、たくさんの人が登場する。アメリカ人でも、原子爆弾を自分たちと同じ人間が住む街に投下することに疑問を抱き良心を痛める人も多い。しかし彼らは日本がかつてアメリカにしたこと(パールハーバー攻撃やバターン死の行進)を忘れていない。つまり原子爆弾を投下することを正当化した。戦争を終わらせるにはこれしかなかった。私は二つの相反する気持ちを持つことになった。広島に原爆が落とされたのは、なるべくしてなった結果なのかもしれない。しかしもちろん一人の日本人として原爆を許すわけにはいかない。もし、アメリカでもっと多くの人が核兵器は未来を変えるということに気づいていれば、もし、日本で、もう戦争を終わろうという動きがあれば、広島が焼け野原になることはなかったのだ。しかし、そうはならなかった。もし何か一つが変わっても原子爆弾は広島に落とされただろう。天皇制の存続を訴えても日本は戦争を続けただろうし、アメリカは莫大な予算と時間をかけている限り、原子爆弾を使用するしかなかったのだ。人類が起こした過去最悪の出来事。広島、長崎での尊い犠牲を無駄にしないことが今の私たちに出来ることだと思う。もう原爆の恐ろしさを世界は知っている。同じ過ちを犯さない為にも世界から核兵器が消えることを祈るしかないと思った。