活動報告 ラット解剖実習

今日は育ててきたラットの解剖を行った。外部講師の河合先生にまずラットの解剖方法や体の構造などをご教授頂き、一人ずつ自分たちのラットを解剖した。

解剖をするまでは悲しさだったり申し訳なさでいっぱいになると思っていたが、思っているよりそういう感情は湧いてこなかった。どちらかといえば解剖したときに体内の臓器があまりにも綺麗で、この臓器と同じようなものが僕達の体の中にもあると考えると感動さえしていたような気がする。僕が解剖したのは残念にも少し前に亡くなってしまった子だったのだが、亡くなって時間が経っていたためか出血がほとんどなく、とてもきれいに皮膚や臓器、脳を取り出すことができた。思っていたよりも骨などが硬く、ハサミで切るのに苦労したのを覚えている。


僕たちが学ぶためにラットの命を頂いて解剖した。この体験は僕が将来学びたいこととも少し近しく本当にたくさんのことを知れ、学べた。僕たちのために犠牲になったラットに本当に感謝し、今回で学んだことを今後の人生でたくさん活かしていきたい。

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活動報告6月15日

この授業では一学期末レポート及び附高祭の模擬店でのポスター発表のテーマを考えました。グループか個人か各自で選ぶ方式です。

以下にテーマを記載します。(違っていれば指摘してください。)

・死刑制度の意義

・優生思想

・死刑判断の変遷

・現代の自死

・精神病棟に賛成か、反対か

ロボトミー手術について

・トロッコ問題

 

興味のある題材ばかりで、みんながどんな風にテーマについて論じていくのかが楽しみです。特に「カッコーの巣の上で」という映画を知ってロボトミー手術について気になっていたので、どんな発表になるのか待ち遠しいです。

(書くのを忘れていました、すみません。)

研修1日目

 生命論の研修1日目では、岡山県にある国立ハンセン病療養所である、長島愛生園を訪問した。

 長島愛生園では、長島愛生園歴史館の学芸員の方とお会いし、ハンセン病の歴史や差別、長島愛生園の概要や今後など幅広く教えていただいた。また、ハンセン病患者がどのように島に上陸しどのような対応を受けていたのかを、長島愛生園内に残された収容桟橋、収容所などの施設を実際に見学して学習した。さらに、長島愛生園歴史館の見学を行った。今回はハンセン病元患者の方にお会いすることはできず残念だったが、代わりに元患者の方が経験を語る映像を見せていただいた。

 ハンセン病については、多少の知識はあったものの、実際に行ってお話を聞いたり施設を見学したりすると、新たな知識や間違っていた知識の発見がたくさんあった。ハンセン病患者に対する差別は、人々の誤解から生まれたものであり、それによってハンセン病患者だけでなく家族までも巻き込んで差別が生まれてしまう。そういった誤解から生まれる差別は現代でも多くの事例が散見される。そのため、今回ハンセン病について詳しく知ることができ、また正しい知識を得ることの大切さを教訓的に感じることができたので非常に良かったと思う。現在、長島愛生園は世界遺産の認定を目指しているそうだ。近い将来、長島愛生園が世界遺産に認定され、「人権学習の場」として象徴的な場所になってほしいと思った。 3A02

 

研修2日目 

研修2日目は広島の平和記念公園と資料館を見学し、最後にハチドリ舎で被爆者証言を聞いた。

小学生の時に一度平和記念公園と資料館は行ったことがあったが、かなり忘れてしまっていたので、原爆のことを考える良い機会になったと思う。原爆の被害の様子を絵だけでなく、写真で見るのは辛く心にくるものがあったが、その分原爆というものがどれだけ恐ろしく、この世界にあってはならないものであるかを理解できる気がした。

ハチドリ舎での被爆者証言は二グループに分かれて、実際に被爆した人と胎内被爆をした人の話を聞いた。私は胎内被爆者の方の話を聞いた。その方は、自分の被曝体験についてではなく、被爆者であることによってどのように世間に見られるのかについて主に話してくれた。今では差別は少なくなっているだろうが差別があったことに驚いた。また、日本は唯一の被爆国として広島をもっとアピールしなければならないとも言っていた。原爆について一番よく語り訴えることができるのは実際の被爆者であると思うが、その方々が高齢になっている今、その方々の体験談を聞いた若い世代がすべきことなのかもしれないと思った。

活動報告6月22日

今日はハンセン病に関する映画、「あん」を鑑賞した。ハンセン病に対する知識を増やし、来月の国立ハンセン病療養所への訪問をより実りのあるものにするためだ。
私自身、ハンセン病の知識は、本一冊分しかなく、驚きが多くあった。
特に驚いたのは、ハンセン病患者が隔離されていた場所だ。そこは、隔離されているという点以外では普通の世界とあまり違いはなく、もう一個の世界があるようだった。患者たちはそこで幸せに暮らしているように見えた。外の世界に踏み出した徳江さんが、差別されて悲しい思いをしていたのを見ると、隔離された世界でいる方が悲しむことは少なくいい気がした。
鑑賞後のグループディスカッションでは、なぜどら焼き屋は徳江さんを雇おうと思ったのかについて話した。街の人のハンセン病に対しての知識は浅く、徳江さんはハンセン病患者であることしか知らないのに対し、彼は徳江さんがハンセン病患者だと知る前に親交を深めており、先入観や間違った情報に左右されることがなかったからかもしれない。
世間のハンセン病に対するイメージのリアルを知り、状況を変えるのはそう簡単ではないことを痛感した。

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活動報告6/8

 今回の授業では、映画「太陽の子」を鑑賞した。個人的に戦争の物語といえば「戦争の悲惨さ、原爆によって引き起こされた悲しみを伝える」ようなものが多いと感じる。これまでにそのような話をたくさん観て、聞いて、戦争がいかに恐ろしいか知ってきたつもりであった。しかし、今回の映画を観て、私が戦争について知っていたことはほんの一部でしかなかったのだと思い知らされた。

 

 映画「太陽の子」は科学者の主人公、修が原爆開発に携わり、奮闘する話である。当時、科学者にとって原子爆弾は素晴らしい発明であり、アメリカに先を越されることは彼らのプライドが許さなかった。そして戦争に勝つため、また、他のどの国よりも早く原爆を作り出すために研究を続けていた。

 現代の日本人は、日本は原爆の被害国なのだと思っているだろう。確かにそれは正しいし、原爆は断固として許されるものではない。しかし、アメリカが原爆を落とした悪者で日本は可哀想な被害者だと言うことは出来るのだろうか。日本も一歩間違えていたら加害国になっていたかもしれない。単にアメリカの技術が進んでいて日本に技術と材料が無かっただけで、もし日本が先に原爆を作っていたら日本がアメリカに原爆を落としていたはずだ。落とした相手を一方的に責めるのではなく、そういうことをせざるを得ない状況を作った戦争自体に責任があると思う。日本も原爆の開発研究をしていたという事実を日本人全員が知るべきだ。

 

 鑑賞後、科学は進むべきかどうかについて話し合った。そのうちのひとつとして、「科学者は科学を突き詰めることが仕事であるのだから、誰かが限度を決めなければならない」という意見が出た。この映画で、修を含む科学者達は人を殺したいという目的で研究していたわけではないと思う。あくまで科学者として新たな技術である原子爆弾を完成させたいのである。だが、科学者達のその追求心も間違えた方向に行き過ぎてしまったら大変な事態を引き起こす。悪用され、兵器になる。それを誰かが止めなければならないのだ。

 これは原爆に限ったことではない。現状、クローンビジネスやデザイナーベイビーなど技術の発展に関して賛否の分けれている問題も多い。私たちはこれらの問題を他人事だと思わず、風潮や固定観念に流されずに自分の考えを持たなければならない。

 

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活動報告6月1日

今日は主に以下3つの生命操作にまつわる問題について話し合った。

1ドナー・ベビー

2クローン・ベビー

3人工子宮

 


1ドナー・ベビー

これはある夫婦が、余命数年の重大な疾患を持つ自分の子供の治療のためにもう1人子供を作り、その子から細胞を移植しようという話である。移植元になった子供はその後も問題なく成長することができる。夫婦はその子を産むために体外受精を行い複数の胚を作製し、遺伝子診断で組織の適合性が最も高いものを選んで妊娠、出産しようとしている。

 


この話には二つの問題がある。一つは他の兄弟のための子供を作る点、もう一つは既に受精している物を親が選別する点である。私の班の話し合いでは、生まれてくる子供が死ぬ訳ではない、どんな目的で産もうと移植した後も大切に育てられるのなら普通の家庭と変わらないのでは無いか、といった肯定的な意見が多く見られたが、それでは兄弟間に不平等が生まれるのでは無いかといった意見があったり、後者の生命を選別しているという問題に新たな展開が無かったりと肯定できない部分も多くある。

 


2クローン・ベビー

体細胞を移植した完全に同じ遺伝子を持つクローンの子供を産めるようになった。元々は不妊治療を目的としていたが未受精卵の提供や代理母出産などのついたサービスとしてビジネスが展開し、一部の国では合法化されている。ある時、恋人を失った女性が、その恋人の体細胞によってクローン・ベビーを作成し育てようとしている。

 


班ごとに別々にテーマを選んで話していたが、全ての班がこの問題を取り上げていた。子供を産むことをビジネスにするというところが突っかかる人が多かった。私自身も出産に損得勘定が関わってくることに忌避感がある。子供に愛情を持って接せるのかという問いに対して

<この人はあくまで恋人をもう一度作り出そうとしている。実際には育つ環境が違う以上同じようには育たないので子供を大切に出来るとは思えない。

という意見があった。確かに環境が違うし、遺伝子が同じであろうともう一度脳も作り直されるので全て一からになって全然違う人になる可能性もある。以前の生命論で脳死は既に死んでいるのと同義、脳はそれくらい一人の人をその人たらしめる核だと話したことがあり、それが生きてきた。

他にも、この体細胞の持ち主が死んでいるか生きているかが問題である、この人が死んでいるなら問題ないが、生きている場合遺伝子の同じドッペルゲンガーが誕生するのでは?という意見もでてきた。

 


3人工子宮

体外受精、人口子宮で出産が可能になった。人口生殖ビジネスが誕生し、今恋人との間にこれを利用して子供を得ようとしている人がいる。

こちらも全ての班が話し合っていた。女性が出産の負担を背負わないでよくなればその分ずっと社会と関わっていられるという面もあるが、まあ間違いなく悪用し放題だろう。同じ人の子供が同時に何人も作れるので年子じゃなくて月子が生まれるだろう。また身体の負担が無くなるので60歳などでも子供が産めるようになる。

<容易に子供が産めるようになる分どうしてもその子に対する責任感や、命の価値が下がってしまうのではないか

という意見があった。私もそう思う。それだけではなくて、このサービスが応用されて色んな人に子供を提供するようになったらそれはもう人身売買ではないか?とも思う。