長島愛生園 見学感想  3年生(D1)

 僕たちは長島愛生園の見学で、歴史館の見学、実際の施設の見学、そして元患者さんである語り部の方の話を聞いた。
 歴史館の見学では、愛生園の概要や歴史などについて学ぶことができた。その中で特に印象に残っていることが2つある。1つ目は、長島愛生園が東京ドーム51個分もの広さがあるということだ。このことは前の講演会で聞いていたが、実際に模型などを見てみるとその大きさを実感でき、本当に1つの町のように孤立していたのだなと感じられた。2つ目は、療養所のなかでさえ、職員と入所者の生活スペースがはっきりと分けられていたということだ。社会からの偏見や差別を逃れようと入所した場所でさえ目に見える差別が行われていたということがショックだった。
 実際の施設の見学では、収容桟橋、収容所、監房、納骨堂を歩いて見学させてもらった。収容桟橋とは、患者が愛生園につれてこられる時に用いられていた桟橋だ。ここの写真は事前の講演会のときや自分達で調べたときに見たことがあったのでとても印象に残っている。次に収容所だが、これは連れてこられた患者が最初に消毒風呂に入れられ、荷物を没収されたりする、入居者としてのくらしが始まるところだ。実際の消毒風呂などを見ることができたが、入所者の人たちはみなここで消毒を受けたのかと思うと、差別的な扱いが酷かったことをつくづく感じた。そして監房は、規則を破った入所者などが園長の独断によって入れられる所だ。しかし、その監房がなぜか埋められ、上に道路や建物が建てられているのが不思議だった。最後に納骨堂だ。納骨堂は愛生園で亡くなり遺骨の引き取り手のない方の遺骨を納める所で、とても多くの遺骨が入っており、この先も増えるのだろうなと思うと悲しくなった。
 語り部の方の話では、実際に経験してきたというだけあり、普段調べるときよりもそのひとつひとつの情報におもみがあり、やはり実際に話を聞いてみないと伝わらないことも多くあるのだと感じ、とてもいい機会だなあとかんじた。人が多くなりすぎて食糧難になり、苦しい生活を強いられたことや、看護などの患者作業の苦しさなどがありありと伝わってきた。そして、とても印象に残っているのが、最後の方に話していただいた、自分が実際に受けた具体的な差別の内容だ。差別があったということは知っていたが、実際にどのような差別だったのかなどは詳しく知らなかったので、語り部の方の本屋さんでの話などは経験談なだけあって語り部の方の悲しみなどが伝わってきた。そして、語り部さんとの交流のなかで最も印象的だった出来事がある。それは、講演が終わった後にみんなで建物から出るとき、語り部さんが自分のシニアカーを指差して「私のオープンカーや(笑)」と仰っていたことだ。それを聞いて僕はハンセン病の元患者さんであっても、ずっと差別を受け続けてきた人であっても、その辺のおじいちゃんと別に大して変わらないんだなと感じた。僕の偏見だったのかもしれないが、やはりハンセン病の元患者さんはその辺のおじいちゃんとは少し違うのかなと思ってしまっていて、どんな人なのだろうと考えていた。しかし、こんな普通のおじいちゃんだと知った後、そんな普通の人がただ病気というだけでひどい差別をうけていたのだと思うと、本当に理不尽だなと思った。
 このように、実際に療養所を訪れていろいろなことを感じ学んだが、この事を少しでも多くの人に知ってもらうことが大事なのではないかなと思った。