A14(生命論)グループ活動報告9/27

私たちのグループでは、生徒にとっての生命論の意義をテーマに議論しています。タイトルは未定なので(生命論)としておきます。
前回、生命論を評価するために、生命倫理学を指針としてはどうかということで、今回はそれぞれが生命倫理学を調べてくることになっていました。ところが、生命論は生命倫理学ではなく生命論だということに気づかされ、結局、自分たちの議論は何を目的にしているのかさえわからなくなりました。
私が今日感じたのは、言葉にされたものが全てではないはずだということでした。言葉で表されたものが嘘だと言いたいわけではありません。言葉で表されたものはその人の考えの一部でしかないということです。では、考えのより大部分を伝え、理解する方法はなんなのか。それが、議論だと思います。議論では、言葉だけでなくら対面した相手を推し量る余地が、私たちを理解へ導いてくれます。また、自分の中の言葉で表せないもやもやをなんとか伝えよう、あるいは相手をなんとか理解しようとする模索は、まあまあ楽しい。
ある言葉を聞いて、文を読んで、しっくりこないとき、それは、その発信者の考えが浅いからではなく、言葉そのものに限界があるからです。だから私は、ここに書くのはやめたいと思います。