グループ討論内容(朱・阿久根・石川・浦川・佐々木・杉田)投稿者C01

 ◎テーマ:「着床前遺伝子診断と胚選別」について
このテーマではまず
「このことは自然の流れか、それとも人間主観のエゴなのか」という意見が出たので、その意見について討論していった。
【意見】
・自然の流れ、という意見について
「遺伝子の操作は自然に任せるべきであって、人が操作すべきでない」という意見。
キリンの首の長さの話などで、「その環境で生き易い遺伝子のみが残る」とあるように、
ここで言うX氏の遺伝病も、生きづらいということで、自然にこの環境の中で選択され淘汰されるものなのでは?
また逆に、普段の環境では生きづらくても、別の環境ではこの遺伝子が必要になるようならば、人が生きのびていくには大事な遺伝子にもなるのでは?
そういう自然に任せるべき、遺伝子を残す、消すという選択を人がしてもいいのだろうか?
また、なにか遺伝病をもっていたとしても、他に何か特殊な才能や能力が有ったりする事がある。
例えばダウン症の人(例に適切だろうか)はある分野に突出した才能を持っている事があるらしい。その可能性を秘めた胚をダウン症という理由で廃棄するのは抵抗を感じる。
→「診断も選別もせずに「生むなら」自然に生むべきだ」という考え

しかし、自分が医者や患者という実際の立場に立ったとき、その様な一般論は通用するのか?という反論が出た。
・そのような「自然の流れ」も大事だが、最終的にどうするかを決定するのは第三者でなく当事者がすべきなのでは?
その当事者の考えには、どうしても人間主観だったり、エゴが生まれるが、むしろそうであるべきだ。
・親としては、その苦しみを知っていたなら子供をそれから解放させたいと思うのは当然だ。
 (それに対する反論:)
 そのような情を持つ事は母性として当然だが、人間は「野生動物」を超えた技術力を持っているので、その技術力に情を持ち込むのは非常に危険だ。
→「自然に逆らってでも、それが苦痛なら取り除くべきだ」と主観を入れてもいいという考え

結果【班内の意見:自然に→1人 主観でもいい→4人】

 ◎テーマ:「人工子宮」について
このテーマについては、班員全員が否定的な意見を示した。
皆がそのような意見を出すうちに、私たちはだんだん人工子宮というものがとても恐ろしく感じられた。
【疑問・意見】
・おなかを痛めて産んだ母親とは違い、父親は「ほんとに自分の子なのか」と疑い続けるものなのだという。
母親は自分のおなかを痛めた事で、絶対的な子への愛が生まれる部分もあるだろう。
もし人工子宮で産まれた場合、父親どころか母親までそう感じる事になる。母親とさえも心の距離が離れた子供は何処を拠り所にするのだろう?
・「人工子宮産まれ」ということで新たな差別、偏見が産まれるかもしれない。
いくら科学的に「普通の子と同じ」と証明されても、理性の超えた所で偏見が生じると思う。
また、上の子は普通に産まれて、下の子は人工子宮だった場合、親は二人を同じように愛せるのだろうか?
・プラスチックケースの中から「ハイあなたの子供です」と手渡されても、自分の子供として感じる事が出来るのか?
・人間の本能的な親子愛と言う物が崩壊して行くのでは?
・養子やペットと何の違いが出てくるのだろうか?
・障害者がそこから産まれたとき、「機械産まれなら殺してもかまわない」という感情が出るかも。
・男の人にとっては結局は人ごとなので、男の人だけでこの事を考えるのはやめてほしい。
etc...

遅くなってすみませんでした
この討論で他の人の価値観を色々知る事が出来て、自分の考えもより深まった気がします。
特にこういう重いテーマを扱う時は、さまざまな価値観、意見を知り理解することが大事だなと思いました。