小さな体に大きな命 3D08 day deam believer

それはあっという間の出来事だった。クロロホルムの入ったビンの中で彼等は動かなくなった。
彼は動かなくなった。この透明の牢獄からまるで逃げ出せなくなり苦しむように、まるでアウシュビッツの冷たい壁に閉じ込められ毒ガスを流し込まれ苦しみ死んでいく彼らのように…動かなくなった。
彼女は動かなくなった。それはひと時の眠りに入るかのように、これからなにが起こるのかもわからないまま、安らかに、動かなくなった。

彼らをビンから取り出すとき、なぜかずっしりと重かった。きっと重いと錯覚しただけなのだろう。実際に重さは変わっているわけではない。きっと僕の心が重いと感じただけなのだろう。ただそれだけなのだろう。
僕たちは当たり前のように呼吸し当たり前のように生きている。彼等もきっとそうだったのだろうと思う。きっと解剖の瞬間がくるまで、そうだったのだろう。彼等はあくまで無頓着であった。あたりまえの世界の中で生きる僕たちには彼らの気持ちはわからない。誰にもわからないのだろうが、彼等はあくまで無頓着であった。解剖の瞬間がくるまで。

解剖が始まってから終わるまでは必死だった。彼の体を切り刻むたびに自分の体もキリキリと痛んだ。もう遅い。どれだけ頑張ったところで彼の命は助からない。命とはこんなあっけないものなのか。ならば彼に報いるためにも彼の体からできるだけ多くのことを学ばなくてはならない。彼らの犠牲を無駄にしてはいけない。先生の言葉が胸に響く。
そこからはがむしゃらであった。先生の言葉通り内臓を切り刻んでいった。小さな体に沿うように作られはめ込まれていた臓器たち。小さな偶然の連続で生まれた大きな命。その生きていた証を丁寧に剥がしていく。このようにこんなに小さい者たちがあの大きな体を支え動かしていた、そう思うと目が自然と潤んでくる。
さらにその小さな体の中にはさらに小さな命がたくさん入っていた。小さな小さな命。まだ自分で動くことを知らない命。自分で動くことを知らず、親の顔を知らず、兄弟の顔を知らず、食べ物も寝床の暖かさも知らず、世界の美しさをも知らずに。彼らも生きたいと願うのだろうか?人間の自分勝手な観念なのだろうが、僕は信じたい。彼らも生きたいと願っているということを。
まともに彼の顔を直視することができなかった。目は飛び出し、まさしく死んだ魚のような目をしていた。首をちょん切り脳を解剖するということだったが、とても僕にはできなかった。たとえ切り刻まれても形だけは残してやりたかった。脳の中には驚くべき小さな血管が無数に走っていた。これが生きる源。これらの小さな血管が脳を動かし、彼を動かしていたいわゆる司令塔のようなもの。これは摘出したあとすぐもとの場所に返しておいた。なんとなく自分の頭も痛くなった。

すべての解剖を終え無残な姿となってしまった彼の姿を見て、再び生命の重さに気が付いた。彼等は僕たちに解剖されるために育てられ死んでいった。彼等を育てているとき、僕たちのためだけに生きているなどとは思いもしなかった。彼等も思いもしなかっただろう。などといった感情が芽生えては消え芽生えては消えを繰り返していた。あいかわらず周りは平凡に動いていた。グリーンコートを走り回り、楽しそうな笑い声が響いていた。こんなにもたくさんの命がなくなったこともついぞ知らずに…。彼等を土に返し、無事に帰ることをみんなで祈った。僕たちのためにありがとう。君の死は決して無駄にはしないよ。繰り返し心が言う。


命を粗末にしてはいけない!命を大切にしろ!などと口先だけでものを言っていた昔の自分に異常に腹が立った。おまえになにがわかる。これが命の重さだ!


遅れて申し訳ないです。夢中で書いたため表現に極度に問題がありますが、これがいまの思いということであしからず…。最後になりましたが貴重な体験を指導してくださった先生方に本当に感謝しています。ありがとうございました。