5月11日(木)の授業での討論を報告 - モリさん -

5月11日(木)の授業で行った討論を報告します。

【討論テーマ】
 自分達が将来、障害を持つ胎児を授かった時、どのようなことを考え、どのような決断を下すのか。

【討論内容】
 ○今現在、高校生の自分で考えてみると、胎児がいかなる障害を持っていようが育てていきたいと思う (人工妊娠中絶等は行わない)。しかし将来、大人になった自分で考えてみると、金銭面での問題や周  囲の反応を重視してしまい、今現在の自分の考えとの間に、違いが生じる可能性がある。
  ●親戚に、障害を持つ子どものいる家庭がある。その方の話によると、障害者に対しては様々な補助   制度があるので、金銭的な問題はさほど生じないとのこと。

 ○重度の障害を持つ子どもを育てていく上で、喜びや楽しみを感じることは出来るのだろうか。
  ●喜びや楽しみを感じることは出来ないのかもしれない。さらに、両親が共働きの家庭では、かえっ   て苦痛に感じるのではないか(母親の負担が増す)。

 ○自分が死んだ後、障害を持つ子どもの生活を誰が支えていくのか。
  ●障害者施設では、日常生活を支援するほか、職業訓練等の社会体験をすることが出来る。
  ●しかし、施設への入居は、人数制限等で難しいのが現状。

【授業・討論を受けての感想】
  僕は、もし子どもを授かる機会に恵まれたら、その子どもが健常に誕生してくれることを強く望む  (これを『内なる優先思想』と言うのだろう)。しかし出生前に、その子どもが障害を持っていること が判明したとしても、人工妊娠中絶等の処置を行うつもりは一切ない。なぜなら、障害を持つ子どもを 育てていくことは大変で苦痛で、不幸に思うかもしれないが、その子を中絶処置で殺すよりは、言葉は 悪いが『マシ』だと思うからだ。障害を持つ胎児を授かったことを『仕方のない』ことだと割り切るこ とが必要になってくるのではないかと僕は思う。
  しかし、そのようにして誕生した子どもは、この親のことをどう考えるのだろうかという疑問も生じ る。子どもは、嫌々育てられていると感じたときにどう思うのだろうか。
  また、少し余談となるが、今この文章を打ちながら、「僕の親は、このような状況の時にどういった 決断を下すのだろう」と疑問に思った。今度機会があれば話をしてみたい(恐らくすることはないだ  ろうが)。

以上、とりとめのない文章ですが、これで報告を終わります。