「生命と優性思想」の討論のまとめ ruka

 1日遅れてしまいましたが、(本当にすみません)昨日の私の班での討論をまとめてみようと思います。
 
 小技くんの「障害者とふれあう環境が少なければ少ないほど障害のある人を自分より下だというように思ってしまうのではないか」という意見を受けて、小学校の時に障害者とふれあう機会はあったか、という話になりました。班の中には、小学校で障害のある子が同じ学年にいて教室で一緒に勉強していたという子もいれば、小学校には障害のある子が一人もいなかったので、やっぱり先入観を持っているという子もいて様々でした。そういうことから、やはり人間の考え方は生まれ育ってきた環境によって変わってくるのだろうということになりました。「健全者」と「障害者」という反対の言葉で人間を分けてしまうような今の社会であるのは今の世の中が全体的に二極化していたりするからではないかという意見から、優性思想がなくなるには世の中全体をかえなくてはならないのでは?という話になりましたが、どういう風に世の中を変えればいいのかという具体案は浮かび上がりませんでした。

 こんな感じで、話が進みました。実はきちんと記録ができてなくて大まかなまとめになってしまったので、抜けてしまってるところがだいぶあると思います。同じ班の子にもこれを読んでくださる方々にも本当に申し訳ないです。ごめんなさい。

 次に、昨日の授業を受けての私の感想ですが、昨日私が一番衝撃を受けたのは、最後の先生の話でした。もし今学校や塾に障害のある人がいて、勉強を妨げられることになったらどうなのか?なんてことは考えたことは本当になかったし、この問いに「それでもいい」と答えられない私は、もうすでに「内なる優性思想」を持っているということだし、このことを考えたこともなかった私は障害のある人と自分を違う世界に住んでいるように考えてたんだなぁということにはっきり気づかされて、よく分からないけどとても悲しくなりました。でも、今までは漠然と自分の中にあったけど気づいていなかった優性思想にはっきり気づけてよかったんじゃないかとも思います。ほんとうにみんなが平等で幸せに暮らせる社会。そんなものが本当に存在するのか?授業を通してこの疑問が心に強く残りました。

 なんだかだらだらと長い文章になってしまってすみませんでした。これで終わりたいと思います。