5/20の授業報告(3A17)

今回は、以前本校で倫理を教えられていた堀先生から、主に臓器移植について、科学ではなく倫理の視点から考える講義を頂きました。
 
1.臓器移植とは
臓器移植の基本的な知識については省略する。
臓器移植は医療行為のひとつであるが、通常のそれとは大分異なる。
通常の医療行為では、患者が治療や手術を単に受けるだけであり、概ねその人個人だけ問題だけであるが、それに対して、臓器移植では、ドナー(臓器の提供者)とレシピエント(移植を受ける患者)の2つの立場が存在し、またそれによって、それぞれの人の家族、ドナー側の救急医やレシピエント側の移植医などの医療関係者、コーディネーター(ドナーとレシピエントの間の調整をする医療専門職)、そして、臓器移植に関する法律を整備する国など多くの視点が存在する。
例えば、ドナー側の救急医は、ドナーの命を助けたいと思っているだろうし、レシピエント側の移植医は早く移植するための臓器が欲しいと思っているかも知れない。
このように、それぞれの立場で、時に相反した考え方があるため、十分に議論をする必要があるのだ。
 
2.臓器移植の歩み
これまで死は、心臓・自発呼吸・瞳孔反応の停止によって定義されていたため、まだ臓器移植法がなかった時代、移植手術を行った医師が告訴されるということがあった。
それによって、臓器移植に関する法的な整備を行おうとする動きが高まり、臓器移植法が制定された。
また、死体(先に述べた定義の死によるもの)から得られた臓器よりも脳の機能が停止しただけの体から得られた臓器の方が移植に向いているということから、臓器を提供する意志があった場合に限って、そのような体からも臓器が移植できるようになり、ここで「脳死」という概念が生まれたのだ。
しかし、改正前の臓器移植法では、15歳未満からの臓器摘出が国内ではできず、臓器移植が必要な子供は、海外で臓器移植手術を受けるために、多額の費用を要した。
このような状況から、昨年、臓器移植法が改正された。
 
3.臓器の移植に関する法律(臓器移植法)の改正に伴う変更点
①死体について
改正後、脳死した者の身体を、一般的に「死体」と表現している。(「脳死は人の死」)
 
②臓器が摘出できる場合
(改正前)
死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意志を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないときまたは遺族がないとき。
民法上の遺言に相当するため、15歳未満は提供する意志が表示できないため、摘出できない。
(改正後)
次のいずれかに該当する場合
一、改正前に同じ
二、死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意志を書面により表示している場合及び当該意志がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。
→書面により拒否する意志を表示していない限り、家族の承認のみで摘出を行うことができる。
また、15歳未満からの摘出が可能になった。
しかし、①と同じ理由により、15歳未満は拒否する意志が表示できないため、拒否することができなくなった。
 
4.最後に
これまで、臓器移植の良い面ばかりが拾われ、そのような手術を推進するような動きがなされてきたが、堀先生は、このような状況を危惧されていらっしゃった。
一度制度化されたものは、なかなか廃止されないので、もう一度立ち止まってこの問題を考える必要があるのだ。
では、他にどのような考え方があるのか。
次回までの宿題である配布された文章を読み、違った視点について理解を深めたい。
 
5.感想
単に臓器移植に対する意見を交換するだけの授業ではなく、そのような議論をする前に、臓器移植に関する知識や、様々な立場の意見をよく理解しておくという点で、勉強になったし、これからの議論がより充実すると思った。次回の堀先生の講義や、他の人の意見を実際に聞くのが楽しみだ。