7月12日の授業にて。

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勝手にブログアップしてごめんなさい。
でも伝えたいことがあります。出来れば読んで皆の気持ちを聞きたいです。
まず…皆が真剣に解剖に向き合っている時に大きな声で"ぐろい"などの事を言った事に反省しています。その場で気付くべきでした…自分の言葉で本当に色んな人を不快にしたと思います…ごめんなさい。そして気付かせてくれてありがとう。
 
私は解剖をするという事から最後まで逃げていました。何故このラット達は生まれて私達によって殺されるのか?命の重みを知るのならもっと他には無かったのか…とさえ考える日々でした。講師の先生が前の机で解剖し始めた時、目も向けられませんでした。もはやスライドでの講義も写真を見て自分は今からこんな事をするのかと、とてつもない恐怖でした。どこかでまだこの状況を受け入れられない自分がいました。そして、前で解剖が始まってから数分経って自分は目に焼き付けなければならないと考えました。もうこれは現実なのだと。自分が数カ月前に選んだ道なんだと。"命を取る"そこから私達は学ばないといけない。それが1番大切なのだと。
 
だから前に行って実験を見ようと立ち上がりました。その場まで行きました。呆然としました。これはこうして…とあらゆるものを取り出す。先生が机に置いたり…首の後ろから頭蓋骨の方にはさみを入れたり…とかを見て色んな想いが込み上がってきました。悲しいのか怖いのか自分でも分からない涙が出ました。立って目に入れるだけでも苦痛でした…
 
前での模擬解剖が終わった時にもう私じゃなくなっていたのかもしれません。やらなければならない。ただそれだけで用意を始めました。マウスを瓶に入れる時に私の心の中にも蓋がされたのだと思います。
 
上に長々と書きましたが結局私はこの時何も分かってはいなかったのです。解剖中は詳しくは書きません。皆も知ってる通り、私自身が物凄い興味を持って気分も高揚していたから。周りの事を何も考えられてはいなかったから。ラットの事を学べていても倫理や心理(?)を無視していたかのような私の行動は最低でした。
 
私が1番真摯に考えているのが残った4匹のラットについて。本当に正直に言うと私は今でも安楽死をさせてあげたかったです。皆の考えていることも痛いほど分かります。ただ殺される為に生まれてきたわけじゃない。生きさせることが幸せでもない。解剖して私達自身が学ぶ事が1番大事だということも。分かっていても私は安楽死させてやりたかった…。やっぱり私は学べていないのだと思います。どこかでやはり愛着が湧いていたのかもしれません。イカの解剖の時は大して何も考えなかったのではないのかという3A17の意見もその通りだと思います。それでもきれいな姿のままで眠らせてあげたかった…。
だからと言って解剖したラットが可哀相だったとかは思いません。皆がそれぞれ色んな気持ちでラットと最後まで向き合っていたと思います。私はそんな皆の気持ちを分かってはいなかった。それを謝りたくてblogに書きました。長々とまとまりのない文章なのに読んでくれてありがとう。ごめんなさい。そしてありがとう。