生命操作について yossy

一日遅れてしまって、みなさん本当にすいません。昨日の議論についてまとめていこうと思います。

まずは「着床前遺伝子診断と胚選別」についてです。
はじめは「産んでもすぐに死んだら悲しい」とか「育てられるかわからない」、「診断できるのならして選びたい」という診断への賛成の意見が多かったのですが、「この診断が広まったら遺伝病はなくなるのか?」という疑問から、みんなの意見が変わり始めました。「もし診断の技術が進み、障害者の人の数が減るとしたら、障害をもつ人たちの立場はより低く見られる可能性がある。」「医学がここまま進歩したら、生命が神秘ではなくなるのではないか。それは嫌だ。」といった医学の進歩に不安を感じる意見の一方で、「科学者たちは生命を助けるためにしているのだ。」という声もあり、最後まで結論は出ませんでした。

「ドナー・ベイビー」についてです。ここでは命の選択をされて産まれてきた子どもの立場から議論をはじめました。「Bの意見にあるように、治療が成功し家族が幸せになれたらいいが、もし兄弟の遺伝子があわなかったとしたら..兄弟を救えなかったら..その子は産まれたときからそのリスクを負って生きなければならない。」「自分がもし選択を受けて産まれたとしたら、親にそれを感謝できるだろうか。」という意見や、「よい遺伝子を「選んで」産むことは、もはや生命は平等ではない。いままでは「だれもがみんなかけがえのない存在だ」と教えていたのが、これからはどう教育していくのだろう。」というような教育的な観点からみたものまで及び、技術の進歩、研究は必要だが、かけがえのない命に対する謙虚さは忘れてはいけない。という意見にほぼまとまりました。

今回の議論では結局生命のかけがえのなさ・尊さにたどり着きました。でもどうバランスをとるのか、という具体的な対策を考えるのはやっぱり難しいなと思います。長くなりましたが、これで終わります。