生命論 第6回 3C40
講義 生殖補助医療における社会的合意にむけて (池田校舎公民科 堀先生)
前回の授業で出した問題点を、三つの視点から考えました。
A、科学・技術という視点
成功率、リスク、肉体的負担
B、倫理・道徳という視点
・動機 子供がつくれない体
仕事を休めない
自分の体型を崩したくない →区別すべきなのか
・提供者との関係 日本…親族の善意
米国…一般的に金銭のやり取り
・遺伝子の改変 遺伝病を抑える
.増強する
C、社会的な視点
・法的問題 親子関係をどう捉えるのか
・知る権利 子供に伝えるべきか
・経済的平等 保険にするか、実費にするか
・国際間の問題 法的制度の違いにどう対応するか
その後二つの班に分かれ、生殖補助医療の社会的枠組み(どこで境界線を引くのか、誰の権利を重視するの か)を、話し合いました。
1班 ・国から定められた病院で認められた人のみ代理母を頼めるようにする
(理由 子供が産めない体で困っている人とそうでない人をきちんと判別するため)
・代理母を頼めるのは親戚のみと法律で定める
→養子縁組などで無理に親戚をつくる人がいるのでは
代理母を頼めるのは血のつながりが何分の一以上の人のみとする
(理由 リスクが高い、子供の存在意義が分からなくなる)
・そもそも代理母自体を禁止する
(理由 他人に産んでもらう、提供してもらうのなら養子でいいのでは…)
2班 ・法で代理母でなく依頼者を親とすると定める(依頼者を優先)
・戸籍に代理母の欄をつくる(子の知る権利を守る)
↓どのようにして代理母となってくれる人を探すか
・代理母という職業をつくる
お金の取引と一緒になってしまうのでは…
・ボランティア(ドナーカードのようなものをつくる)
需要に供給が追いつかなくなるのでは…
先生のお話 ・昔、養女養子は普通だった
最近は遺伝的なつながりを重視する方向に
・お金でインドの女性に代理母を頼む
人道的でないというのは簡単だけどそれならどう考えるのか
経済的に貧困な人を救えるのに全くの悪だと言えるのか
講義2 臓器移植を通じて死について考える (池田校舎公民科 堀先生)
死とは?
自発呼吸をしていない
心臓が動いていない
瞳孔が反応しない
→だが本当は死はプロセスである
生|--------------------------------------|・・・・・第三者が受容するまでプロセスは続く・・・・・
↑ ↑ ↑
自意識がなくなる 心臓が止まる 全ての細胞がなくなる
1 「臓器移植に関する法律」成立の経過
①1997年法成立までの状況
1950年代 人工呼吸器の発達→脳死という状況がうまれる
脳死=自意識、感覚がない
考えることが人の本質であるヨーロッパの人々にとって脳死は死に等しい
1960年代 臓器移植が行われるようになる(生きている人の間で)
1968年 和田心臓移植事件 海で溺れ死んだ青年の心臓を心臓病患者に移植
一時的に回復するが83日目に死亡してしまう
→この一件で、日本における臓器移植の遅滞を招くことに…
1980年代 免疫反応を抑える薬ができる
脳死と臓器移植が結びつくようになる
1997年 1997年法が成立
②法律成立後の状況
・死の概念 臓器移植する思いがある人の脳死=死
臓器移植する思いがない人の脳死≠死
→死が二種類存在することに
・15歳以下は書面に意思を表示できないため子供の臓器移植は不可能
・提供する意思をきちんと書面により表示している人が少ない
臓器移植の件数はあまり増えなかった
2 2009年法の改正で何が変わったのか
・死の概念がぼやかされた(第六条二の2参照)
・15歳以下も遺族が承諾すれば臓器移植可能に
・書面に臓器移植する意思がないこと書いていない場合以外は、遺族が承諾すれば臓器移植可能に
・自殺した人から親族に臓器移植をすることは出来ない
講義自体の内容はここまでです。
臓器移植についてのお話は討論することが出来なかったのでコメントでお願いします!
また生殖医療の話の意見も私が勝手にまとめただけなので、個人的な意見があればよろしくお願いします。