児童虐待 ~しつけとの境界線と、養育環境要因のケースについて~   B組38番

 

◎はじめに

児童虐待をする親の「虐待ではなくしつけのつもりだった」という言葉をニュースで聞いて、「虐待」と「しつけ」の境界線はどこにあるのか、明確に定義されているのかなどが気になったのでその点を中心に調べレポートにし、また、調べていく中で養育環境が要因の児童虐待のケースに興味を持ったので調べ、主に以上の二つのポイントについて自分の意見をまとめました。

  

児童虐待とは?

 

児童虐待は「児童虐待防止法」に基づいて、以下の四つに分類されています。

 

・身体的虐待児童の身体に外傷が生じ、又は生じる恐れのある暴行を加えること)

・ネグレクト児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者としての監護を著しく怠ること)

性的虐待児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること)

心理的虐待児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。)

 

これらが単独で生じるケースも、混合して生じるケースもあります。

 

また児童虐待は「児童の人権を著しく侵害し、その心身の成長及び人格の形成に重大な影響を与えるとともに、我が国における将来の世代の育成にも懸念を及ぼす」と定義されています。

 

児童虐待に関する相談件数の推移


 図省略  平成18年度に全国の児童相談所で対応した児童虐待相談対応件数  (厚生労働省より)

 

文部科学省によると①平成1610月の改正児童虐待防止法の施行により、通告対象の範囲が、「虐待を受けた子ども」から「虐待を受けたと思われる子ども」に拡大されたこと、②社会を騒がすような痛ましい児童虐待に関する事件の発生等もあり、国民や関係機関に、児童虐待についての認識や理解の高まりが見られることなどが主な増加要因として考えられています。

 

◎虐待に至るおそれのある要因

 

これまで様々な実態調査や事例検証を通して、虐待に至るおそれのある要因(リスク要因)が抽出されています。(この要因に当てはまるからといって必ずしも児童虐待が行われる家庭であるというわけではありません。)

 

◇保護者側のリスク要因
 妊娠、出産、育児を通して発生するものと、保護者自身の性格や精神疾患等の身体的・精神的に不健康な状態から起因するものがある。
 望まぬ妊娠や10代の妊娠であり、妊娠そのものを受容することが困難な場合また、望んだ妊娠であったとしても、妊娠中に早産等何らかの問題が発生したことで胎児の受容に影響が出たり、妊娠中又は出産後に長期入院により子どもへの愛着形成が十分行われない場合がある。
 また、保護者が妊娠、出産を通してマタニティブルーズや産後うつ病等精神的に不安定な状況に陥ったり、元来性格が攻撃的・衝動的であったり、医療につながっていない精神障害、知的障害、慢性疾患、アルコール依存、薬物依存等がある場合や保護者自身が虐待を受けたことがある場合が考えられる。特に、保護者が未熟である場合は、育児に対する不安やストレスが蓄積しやすい。

 

◇子ども側のリスク要因
 子ども側のリスクとして考えられることは、乳児期の子ども、未熟児、障害児、何らかの育てにくさを持っている子ども等である。

 

◇養育環境のリスク要因
 未婚を含む単身家庭、内縁者や同居人がいる家庭、子ども連れの再婚家庭、夫婦を始め人間関係に問題を抱える家庭、転居を繰り返す家庭、親族や地域社会から孤立した家庭、生計者の失業や転職の繰り返し等で経済不安のある家庭、夫婦の不和、配偶者からの暴力等不安定な状況にある家庭である。
 また、リスキーな養育環境として考えられるものは、妊娠中であれば定期的な妊婦健康診査を受診しない等胎児及び自分自身の健康の保持・増進に努力しないことが考えられる。出産後であれば、定期的な乳幼児健康診査を受診しない等が考えられる。

 

(「子ども虐待対応の手引き」より)

 

◎しつけと虐待

 

虐待していると通告され、さらに子供が実際に怪我をしているような状況であっても、それが虐待であると簡単には認めない保護者が多いということがわかりました。しつけの範囲内での暴力ならば、虐待していることにはならないという考えを持っているから「ただしつけを行っただけで虐待ではない。」と主張します。

実際に「しつけ」と「虐待」について述べている意見を、何件か、県や市ごとに調べ、気になったものだけ紹介します。

 

<暴力は「しつけ」であれ許されない行為であるという意見>

 

鳥取県教育委員会

「しつけ」は子供に社会のルールやマナーを教えたり、自立して生きていくために必要なことなどを教えるのが目的である、親の愛情でもあり子供を中心に考えて行う行為。

「虐待」は子供を思うようにコントロールできないことへの親自身の怒りや腹立ちを、しつけとして親が自分の力を悪用して、子供に対して暴力を振るうこと。

また、「しつけ」だからといっても、子供にとっては暴力を受けていることには変わりがないため、いかなる理由であれ暴力を振るうのは決してよくないことである

 

大阪府八尾市

体罰は、子どもに恐怖感を与えることで言動をコントロールする方法である

 

<「しつけ」だと思っていても「虐待」となるものがあるという意見>

滋賀県教育委員会

虐待はしつけとは異なり、保護者がしつけだと思っても、「子どもの心身を傷つける行為や発言をすること」や「子どもの成長に必要なものを与えないこと」は虐待となる。

 
 

<異なるが実際に区別するのは難しいという意見>

福島県

子どもの虐待は家庭におけるしつけとは明確に異なり、親権や親の懲戒権によって正当化されるものではない。また、子どもの虐待は子どもの心身の成長や人格の形成に重大な影響を与えるとともに、次の世代に引き継がれるおそれもあるため、早期に発見し対応することが重要である。 しかし、実際上は限られた情報の中でしつけと虐待の区別を判断することは大変難しい

 

<その他の意見>

宮城県多賀城市

しつけの方法として体罰を肯定するのは必ずしも適切とは言えないケースがある。

「しつけ」か「虐待」か、を区別することはできないし、明確な答えにこだわる必要もない

 

このように「しつけ」と「虐待」についてはさまざまな意見があります。

ちなみに「子ども虐待対応の手引き」の第一章 子ども虐待の援助に関する基本事項 では

 

“個別事例において虐待であるかどうかの判断は、児童虐待防止法の定義に基づき行われるのは当然であるが、子どもの状況、保護者の状況、生活環境等から総合的に判断するべきである。その際留意すべきは子どもの側に立って判断すべきであるということである。
 虐待を判断するに当たっては、以下のような考え方が有効であろう。
「虐待の定義はあくまで子ども側の定義であり、親の意図とは無関係です。その子が嫌いだから、憎いから、意図的にするから、虐待と言うのではありません。親はいくら一生懸命であっても、その子をかわいいと思っていても、子ども側にとって有害な行為であれば虐待なのです。我々がその行為を親の意図で判断するのではなく、子どもにとって有害かどうかで判断するように視点を変えなければなりません。」(小林美智子,1994)”

 

と書かれています。

つまり厚生労働省は、加害者の動機や行為の質に関係なく、子供が安全でないという状況に当てはまるならばそれは虐待となる、という意見であるといえ、これは先ほどの「しつけであって虐待でない」と主張する保護者の考えとは食い違うことになります。

 

◎自分の意見

 
 私は自分自身の記憶をたどってみると、小学生のとき親からぽこんと頭を叩かれたことがありました。けれど、それを虐待だと思ったり、ひどいと思ったりはしませんでしたし今振り返っても思いません。それほど親を怒らせてしまうようなことをしてしまったことに気づき、目が覚めて、それまで反省せずに反抗的な態度をとってしまっていたこと、またそんな怒られるような行為をした自分に対して深く反省した覚えがあります。

つまり、叱られたことに対しては心にダメージを受けましたが、「叩かれた」ということ自体に対しては、ダメージを受けませんでした。そしてそんな経験があるからこそ、体罰を一概に虐待だとはわたしは思いません。

けれどわたしが「叩かれた」ことに対するダメージを受けなかったのは、普段から親の愛を感じ、また親が、私はどうして怒られたのか、どこがいけなかったのか、を教えてくれたことで自分が悪かったのだと理解できたからだと思います。

悪いことをした自覚がないまま親に手を上げられると、子供はただ恐怖しか感じられないし、何が間違っているのかわからないので誤りを正すことも出来ません。つまりそれはしつけに当てはまらない体罰、すなわち虐待になってしまうと思います。

これが私の考える「しつけ」と「虐待」の境界線です。


  私は電車の中で騒ぎまわる子供と、その子供に対して注意する母親、という光景を目にしたことがあります。母親が口で注意しても子供はいっさい話を聞かず電車の中を走り回っていましたが見かねた母親がその子供を叩くと、子供はもう走り回るのをやめて母親の隣にじっと座っているようになりました。この母親の行為は一時的に子供を大人しくさせるためだったように私は感じましたが、虐待だとは思いませんでした。他の乗客の、どうしてじっとさせないの?といわんばかりの迷惑そうな視線を感じる一方で、言うことを聞かない子供に対するいら立ちと恥ずかしさ、また、大声で叱る事のできない電車の中という状況で母親が手をあげてしまうのはある意味仕方がないことだとすら思えました。

けれどここで、その子供が「暴力を受けた」ということに対して大きなショックを受け、心に傷を負ってしまったとするならば、それは虐待になるのだと私は思うのです。

私が実際に見たこの例は、母親が叩いてしまったあと子供のいけなかったところを説明し子供がきちんと反省することが出来たならば「しつけ」に当てはまると思うので「虐待」ではないと思いますが、養育環境が原因で起こってしまう児童虐待に少し似ている部分があると私は感じました。

核家族化が進み、またご近所付き合いが少なくなってしまった現在では、社会から孤立してしまった状況で母親が育児を行うことが多くなってきています。たまには子供を祖父母に預けて息抜きをしたり、近所の人に相談に乗ってもらったりすることが出来ないと、閉ざされた状況の中での育児は、母親に負担を与えます。さらに家庭内の経済的困難による悩みや負担は、母親または父親にストレスを与え、心の余裕を失わせてしまいます。

そのような、親や子供の自身の問題ではなく、親が自分たちだけではどうにもならない問題に追い詰められた時、些細なことで子供に対していらついてしまうことが多くなり児童虐待が起こってしまうことが多くあると思います。

この、親がどうにもならない状況に追い詰められた時に子供に手を上げてしまいがちになるという構図が、電車の中の親子の例に重なる部分があるのではないかと感じ、児童虐待といっても加害者である親も苦しんでいるケースがあるということを目の当たりにしたような気がしました。

 

 養育環境が原因でおこる虐待について述べましたが、それをふまえたうえでも私は、「虐待が起こってしまうのは仕方がない」家庭などないと思っています。どんな理由であれ、親が子供に対して虐待(「しつけ」とは違う)を行うのは許されないことだと思うからです。親になる覚悟というのは高校生の私には想像もつかないほど重たいものだと思います。また、はじめて親になるのだから育児は分からないことだらけで未経験のことであるからなにもかも上手くやれるわけではないと思うし、親になるのが若ければ若いほど、大変なことなのだろうと思います。けれど、やはり親として子供を守るというのは最低限の使命だと思います。子供という、自分より優先すべき存在ができるわけですから、これから何があっても子供を守り子供の幸せを優先するという覚悟がないのならば、子供を作らないでほしい、産まないでほしい、とすら思います。とはいっても、覚悟していても親になってすぐに自分のこと、子供のこと、家庭のこと、など全てをうまくこなすなんて非常にむずかしいと思いますし、先ほど述べたようにどうすることも出来ない問題に追い詰められることもあると思います。しかし、親子で悩みを抱え込んで大変なことになってしまう前に、手を上げてしまう前に、落ち着いて児童相談所に相談することをしてほしいと思います。つまり周りの目から見て虐待がわかるようになる前に親が自ら動き出してほしいということです。児童虐待がおこるのは社会の問題(核家族化など)のせいだ、日本の対策が不十分であるせいだ、という意見があります。実際そうなのかもしれませんが、そこを責めつづけていても救える親子が増えるかというとわたしはあまり変わらないと思います。周り(児童相談所など)から虐待のリスクを察知し見守るような対策もとても必要だと思いますが、やはり限界があると思うので、難しいことだとしても育児での悩みや行き詰っている部分を自分自身で認め、勇気を出して相談することは少なくとも子供の安全を守る手段であると思いますし、その一歩を踏み出すことが親としてすべき事だと私は思っています。そしてその先の支援を充実させることがとても大切なことだと思います。誰でも相談することは出来ます。だから「仕方がない」虐待なんてないと私は思うのです。

また、出産する前に、だれにでも虐待をしてしまう可能性があるということを理解し、育児で悩んだらどうするのかをパートナーと話し合うことも大切だと思います。

やはり育児は母親中心となるので負担も母親のほうが多くなります。

図省略 (社会保障審議会児童部会児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会 子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について 第1次報告~第9次報告より)

 

 この統計からみて加害者の半分以上が実母であることもわかります。

一方父親は日中家におらず赤ちゃんと接する時間や、母親が育児をしている姿を見る時間が非常に少ない家庭が多いと思います。育児の苦労を目の当たりにしていない中で奥さんにいきなり育児に対する悩みを相談されてもどうすればいいのかわからないでしょうし、もしくは自分が当たり前に思い描いていた母親像とは違う奥さんに対して戸惑うかもしれません。

夫婦での育児に対する温度差を感じると奥さんはさらに悩むことになると思うし、良い母親にならなくてはいけないというプレッシャーとともに、子供に対して余裕のない自分が悪い母親であるように感じて、より一層悩みを相談することが出来なくなってしまうと思います。

ですから、父親となる旦那さんにも、誰しも虐待してしまうリスクがあること、また奥さんから相談を受けた時どうするべきなのかを夫婦で事前に話し合っておくと、奥さんも相談しやすくなるのではないかと思うし、旦那さんが奥さんの様子が心配だな、危ないなと感じたらどこかの機関に相談することだって出来ると思います。

 

 私は、防止対策や防止事業とは違った面から児童虐待を防ぐことについて述べてきましたが、

養育環境が原因で起こる虐待の場合についてのみの意見なので、育児ノイローゼに陥ってしまっていたり過去に虐待を受けた経験がある場合など、保護者側の要因によって起こる場合や子供側の要因によって起こる場合となると、また違った問題点がたくさんあると思います。

ですからもちろん防止のための対策や取り組みを充実させることも、児童虐待に苦しむ家庭を救い、減らすためにとても大切なことだと思っています。

また、年齢が若いことなどの理由により親が未熟な場合、虐待を認めたくないから、というより本当にしつけだと勘違いして行き過ぎた暴力を振るうこともあると思います。

そのため、先ほどいったように、出産する前から虐待を防ぐことを意識しておくのも大切だと思います。

 
 

◎参考文献

厚生労働省HP』 http://www.mhlw.go.jp/

  「子供虐待対応の手引き」

『オレンジリボン運動』 http://www.orangeribbon.jp/

文部科学省HP』 http://www.mext.go.jp/

岩波新書児童虐待-現場からの提言』 川崎 二三彦

岩波新書『子どもの貧困-日本の不公平を考える』 阿部 彩