性的指向を取り巻く問題     B組37番


性的指向とは何か

 性的指向とは、いずれの性別を恋愛や性愛の対象とするかといった概念のことです。ここでテーマにあげた問題というのは、非典型的な性的指向をもつ人々が社会的な権利を奪われていた、奪われていることを指します。

日本では性的少数者という大枠に入ります。英語のSexual Minorityの訳で、この中に、性的指向が非典型的な人々も含まれます。最近よく聞くようになったLGBTも、性的少数者に含まれます。

LGBTとは、L(レズビアン=女性同性愛者)、G(ゲイ=男性同性愛者)、B(バイセクシュアル=両性愛者)、T(トランスジェンダー=生まれたときの法的(生物学的)・社会的性別とは一致しない、または囚われない生き方を選ぶ人などを表現する包括的な言葉。一般的に性同一性障害も含む)の総称です。LGBTのうち、LGBは今回取り上げる性的指向で分けられ、Tは性自認という全く別のもので分けられています。

  

2性のあり方とは

 人間には、三種類の性の要素があります。「身体の性」「こころの性」「好きになる性」です。性的指向というのはここでいう「好きになる性」ですが、ほか二つとも密接に関わってきています。
まず、「身体の性」とは、生物学上の性のことです。生まれた時に、多くの人が男か女かに区別できます。
次に、「心の性」について。1で少し触れた「性自認」というものです。自分のことを、男と思うか、女と思うか。それだけでなく、「Xジェンダー」と呼ばれる性自認があります。Xジェンダーとは、男女の性の枠にとらわれない性自認です。男でも女でもなかったり、男でも女でもあったり、中性的であったり、人によって様々です。
では、「好きになる性」にはどんなものがあるのか。以下に代表例をあげます。
異性愛者:heterosexual (ヘテロセクシュアル) 異性を好きになる人
女性同性愛者:Lesbian (レズビアン) 女として女が好きな人
男性同性愛者:Gay (ゲイ) 男として男が好きな人
両性愛者:Bisexual (バイセクシュアル)  同性も異性も好きになる人。性にこだわらない人 etc…

しかし、実際のところ、これらに明確な差があるわけではない、とも言われています。社会的に「男性」とされている人の心の中にも、何%かの「女性性」が存在するのは普通のことなのですが、そうした自分の「女性性」や「同性愛的な傾向」を自分で認められないために、かえって「男らしさ」や「女好き」を強調するようなケースもあり、自分の中の「男性性」や「女性性」を自覚していない人も多いようです。
こうした考え方に基づいてみると、「100%の男性」「100%の女性」などという人は存在せず、ひとりの人間の中にさまざまな割合で「男性」「女性」「異性愛」「同性愛」といった要素が存在していることがわかります。このように、グラデーションで性をとらえる考え方が、非常に重要で、残念ながらまだあまり広まってはいません。

 

3日本と世界での動き

  同性婚、パートナシップ制度

2006年、LGBTの権利の擁護と国際人権法確立を目的とした「モントリオール宣言」が採択され、性的指向による差別禁止や社会参加の観点から、同性結婚や登録パートナシップ制度の必要性が盛り込まれました。さらに同年、インドネシア国際法律家委員会や前国際連合人権委員会のメンバーが中心となって議決された「ジョグジャカルタ原則」においても、同性結婚の必要性が示唆された。欧州評議会もこれらの宣言や原則を重視していることからも、先進国、特にヨーロッパで認められていく方向にあります。

その一方、カトリック教会の総本山であるローマ教皇庁バチカン市国や、政教一致イスラム国家であるサウジアラビアなどのように、同性結婚異性装に否定的な見解を表明している国や地域、団体なども存在します。これに対し、欧州評議会2010年の会合で採択した「性的指向性自認による差別」に於いて、「同性カップルへの法的承認は、伝統的な家族にとって危険である」と主張する一部の団体や組織の主張に対し、「同性カップルの法的承認は、異性の婚姻にも子どもにも何ら悪影響を与えない」と反論しました。さらに「同性愛は不道徳である」という主張に対して、ジョグジャカルタ原則や、市民的、政治的権利に関する国際規20条を踏まえて、「宗教的ドグマ(教義)による主観的なもので、それらは民主的社会に於いて他人の権利を制約する理由とならない」と反論し、さらに「同性愛が将来の国家の人口に危機を与える」いう主張に対しては「非論理的である」と反論しています。

現在、同性婚を認める法律のある国は20ヶ国以上、パートナシップ制度を認めている国や地域も20以上あります。

  日本の憲法において

 日本国憲法第24に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」とされています。

この条文は「戸籍において夫を家族の長とし、婚姻においても親の許可が必要であった」あるいは「本人の意思に関わりなく親により行われることもあった」明治憲法下の状態を改めるため、夫婦間の平等と自由結婚の権利を確定するために書かれたもので、同性婚の禁止を意図したものではないとする説があります。ただ、婚姻は「両性の合意にのみ基づいて成立」と規定してあることから、婚姻は「両性」、つまり「男性」と「女性」の両方が合意する場合のみに成立する、と文言上は解釈できます。そのため、憲法を改正しなければ、同性婚は法的に成立しないという意見がある。内閣総理大臣安倍晋三は、2015218日の参議院本会議において、「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と述べています。

一方、日本国憲法24条の規定は、家族形成の自由と、婚姻における男女の平等を意図したものであって同性婚の禁止を意図したものではなかったことや、日本国憲法の第14条が定める「法の下の平等」や同第13条の「個人として尊重」、「幸福追求」権の規定などから、日本国憲法においても同性婚は認められるとの解釈も存在します。

また「両性」とは「男女」という意味ではなく、「それぞれの独立した両方の性」として、女性と女性、男性と男性も含まれると解釈改憲を行うことで、現行憲法下でも同性婚は可能だとする説もあります。

なお、最高裁同性結婚の合憲性の判断は下されていません。

  日本の民法 

民法は、第二章「婚姻」第一節「婚姻の成立」第一款「婚姻の要件」において婚姻の成立要件について規定していますが、婚姻が異性カップルにのみ成立すると規定する条文はありません。第739条は、婚姻の届出について、「婚姻は、戸籍法 (昭和二十二年法律第二百二十四号)の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる」(第1項)、「前項の届出は、当事者双方及び成年の証人二人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない」(第2項)と規定しています。

なお、家裁レベルでは戸籍法113条に基づく戸籍訂正を認める前提として、同性結婚民法742条の「婚姻をする意思がないとき」に該当し無効であるという判例があります。

  

5全体における問題点

 そもそも、セクシャルマイノリティという言葉自体に社会的排除や見えない差別的ニュアンスが含まれるという意見があります。実際、LGBTの問題を扱ったジョグジャカルタ原則の前文において、異性に性的指向を持つ者や特に性自認が身体的性別と一致している者が圧倒的多数であるにも拘わらず、その前文では、性的指向の定義に関して敢えて、「異性や同性、両性(二つ以上の性)に対する」と表現しています。

 私は、このような差別は、「差別されていない大衆」の「根拠のない常識」から生まれていると思います。実際、今回こうやって調べるまで私自身「セクシャルマイノリティ」という言葉を普通に使っていました。無意識だからこそ大衆の側からは意識しづらいし、外部の声は届きません。ですが、長期間に渡って権利を求め続けることによって、同性愛は近年さまざまなメディアで取り上げられ、制度の見直しなどが世界各地で行われています。日本でも、今年になってようやく一部地域で制度ができはじめました。今までいないように扱われてきた同性カップルに視点が当てられ始めたのは、本当に喜ばしいことだと思います。

ここまで、主に同性愛について述べていきました。しかし、私が今回更に目を向けていきたいのは、無性愛と呼ばれるものについてです。

 

6無性愛

 無性愛(asexuality)とは、他者に対して性的な欲求を抱かない性質のことです。このような性質をもつ人のことを無性愛者といいます。無性愛は、性欲自体がない無性欲や、性的行為に嫌悪感を抱く性嫌悪、性的欲求低下障害(HSDD)とは異なります。また、思春期以前の子どもが他者に対して性的な欲求を抱かなくても、無性愛者であるとは言いません。無性愛は、異性愛同性愛両性愛に並ぶ性質であると言われています。無性愛はアロマンチック・アセクシャルとロマンチック・アセクシャルに細分化されます。この分類によれば、後述の非性愛は「恋愛感情がある無性愛」とされているため、ロマンチック・アセクシャルに近いものとされます。ただし、非性愛の定義には性嫌悪も含まれている場合も多く、性嫌悪を伴う場合は、無性愛とは違う概念です。

今上げた非性愛という言葉が、日本では浸透しています。恋愛感情はあっても性的な欲求のない人のことを指しています。これは学術用語ではないのですが、日本の中では割合多く使われている言葉なので紹介しました。
調べたところ、日本のバラエティ番組で、一度無性愛の方が出演されたようでした。番組自体を見ることは叶わなかったのですが、それに対するSNSでの反応をまとめたサイトがあったので、一部以下に引用します。
「人を好きになれるだけで幸せなんだと思った」
異性愛、同性愛、両性愛、無性愛。愛には四種類あるんだ~」等

番組に対する反応を寄せる人には、セクシャルマイノリティも理解した上で視聴した人も多かったようですが、上記したのは、おそらくこの番組で初めて無性愛を知った人達です。一人目の、「好きになれるだけで幸せ」は「好きにならないことは不幸」だと無意識の中で思っていることがわかります。二人目は、おそらくこれは放送の仕方が問題だと思われますが、型を明確に分けられるという間違った認識をしてしまっています。

 このような反応が、差別されていない大衆が初めて少数側を認識したときの、ごく普通の反応なのだろうと、私は捉えました。無性愛を知っている人の中にも、正しい情報が見つかりにくいが故に、誤解を持っている意見が見られました。

 

7最後に

 嫌悪感から生まれた差別は正しい知識を得ることで緩和できますが、無意識の差別は個人が認識して改善しないとどうにもなりません。差別してないと言う人が、「生物学的におかしい」「権利を認めると子どもが減る」と思っていたりします。両方とも私が実際に聞いた例です。

 セクシャルマイノリティについて、授業で取り扱うかもしれない、との話も目にしました。まだあまり話は進んでいないようですが、そうなる未来を望みます。幸いなことに、私たちの学年は保健体育でTRPGの授業を受けました。残念ながら、TRPG止まりではありますが、授業で耳にしたことがあれば、何かのきっかけで思い出せるかもしれません。いつか、今は異性愛以外を刑罰化しているような国でも、皆が同等の権利を持って生活できるようになることを願います。

 

参考文献

https://ddyornww.wordpress.com/2014/04/01/%e8%8b%b1%e8%aa%9e%e3%82%b5%e3%82%a4%e3%83%88%ef%bc%9aaven%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e5%92%8c%e8%a8%b3/

http://www.nijiirodiversity.jp/%E6%80%A7%E7%9A%84%E5%B0%91%E6%95%B0%E8%80%85%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9F%A5%E8%AD%98/

http://deaf-lgbt-center.jimdo.com/lgbt%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%94%A8%E8%AA%9E%E9%9B%86/

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150331-00000005-mocosuku-hlth