クローンはなぜいけないのか A組7

 

①動機

 本校の卒業生である山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞したとき同時に受賞したのがジョンガードンだった。授賞理由は世界初のクローンの作成の成功。その当時はアフリカツメガエルのみだったが後にイアンウィルマットがかの有名なドリーで羊、つまり哺乳類のクローンの作成に成功している。

 iPS細胞が作られる前に万能細胞として注目を浴びていたのがES細胞だ。このES細胞には拒絶という問題があったが若山照彦博士その問題を乗り越えたクローンES細胞の作製に成功した。その一方で起こった問題がクローンの作成についてだ。

 一般的にヒトクローンの作製は問題があると言われている。理由は倫理的な問題ということらしい。しかし、自分はこの部分がよく理解できなかったため、このテーマを考えることにした。

 

②自分の現在の考え

 先ほども述べたが自分にはクローンの作製をしていけない理由の倫理的問題というのが分からなかった。双子と何が違うのかが分からないのだ。例えば自分と年が離れているのに遺伝情報が同じというのが生物として気持ち悪い、というのであれば無性生殖をしている生物は存在がおかしいのだろうか。

クローンは科学の発展に役立つと思う。まず、アインシュタインのように天才と呼ばれた人間をよみがえらせることが(遺伝情報があれば、の話だが)可能なのだ。クローン問題を描いた手塚治虫の「火の鳥生命編」でもある登場人物がクローンの使用で疑似的な不老不死を行っている。優生学という観点からならば優秀だった人間のクローンを作ることは何ら間違いではないのではないだろうか。もう一つの科学の発展に役立つ点は人のどの違いが先天的か後天的かどうかを見分けるのに役立つということだ(例として頭の良さは遺伝に由来するかどうか)。現在は双子を利用して行っているらしい。しかしそれでは遺伝情報がそろっているという数が少ない。クローンを使えば同じ遺伝条件をいくつでも作れるのだ。人体実験を行っているので非難されるかもしれないが自分はもし自分のクローンが実験に使われると言われても別段の嫌悪感を抱かない。人体実験についてはネズミなどでは行われている現状なぜ人についてだけ規制するのかが自分には分からないが。

また、ヒトの生物としての自分の遺伝子を残すことである。100%自分の遺伝子の持ち主であるクローンを作り出すことの何が問題なのだろうか。自然淘汰が行われていない、という面がある気もするが…(自己否定)

倫理的問題と言われると自分は真っ先に宗教問題、特にキリスト教(厳密には聖書)のことを思い浮かべる。今ある知識で語るが、聖書の一節に「産めよ、増えよ、大地を人で満たせ」というのがある。これに反するためキリスト教徒には避妊を嫌がる者もいる。ではクローンはどうだろうか。クローンはヒトを作る技術である。増えていくわけだから問題がないように思える。神の真似事ということになるのかもしれないがもちろんモーセ十戒にも反していない。少なくともキリスト教的には反してないと思う。また、自分は仏教徒であるが、その観点からするとヒトのクローンは認めないというのは魂の平等性からあまりいい印象は抱かない。人がだめならドリーもダメということである。

長々と書いたが要するに自分としては倫理的に問題がある、というのが分からないので研究のためにならクローンを作ってもいいのではないか、と思う。

 

③ヒトクローンに関する様々な意見

 

フランスにおいては、平成9年2月27日にシラク大統領が、生命科学及び健康科学のための国家倫理諮問委員会にクローン技術の人への適用に関するレビューを行うことを指示した。同年4月24日には、同委員会から、生殖に男女の両性が関与し、かつ、偶然性が介在することにより各個人の唯一性が確保されることが、人間の尊厳保護の基本的要件であること、クローン技術により産生される人は道具化され、他者の目的のための手段として使われる可能性があり、こうした視点から人のクローン個体を人為的に産生することは倫理的に許されるものではないこと、人のクローン個体の産生については、既存の法律で禁止されていると解釈できること等の報告がなされた。  http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kagaku/rinri/cl912271.htm クローン技術による人個体の産生等に関する基本的考え方 より抜粋)

 

人クローン個体の産生は、次章に示した人間の尊厳の侵害の観点から重大な問題がある。それに加え、現時点では、体細胞核移植を伴うクローン個体の産生は、動物においても研究段階にとどまっている。ヒトに適用した場合、正常な発生が行われるか、細胞の寿命に関連するといわれているテロメアが短いことによりどのような影響があるかなどについて十分な知見がない。また、仮に体細胞の遺伝子の損傷が存在する場合に未知の影響がある可能性も否定できないことから、産まれてくる子供の正常な成長が保証されるだけの十分な知見が存在しない。このため、人クローン個体の産生は、実用的な技術とは考えられず、敢えて実施するだけの有用性はないと評価される。(同上より抜粋)

 

クローン技術の人個体の産生への適用については、以下のように、人間の尊厳の確保の観点から問題がある。 

  動植物の育種と同様、クローン技術の特色である予見可能性を用いて、特定の目的の達成のために、特定の性質を持った人を意図的に作り出そうとすること(人間の育種)や、また、人間を特定の目的の達成のための手段、道具と見なすこと(人間の手段化・道具化)に道を開くものであること  

  人クローン個体に固有の問題として、既に存在する特定の個人の遺伝子が複製された人を産生することにより、体細胞の提供者とは別人格を有するにもかかわらず常にその人との関係が意識され、実際に生まれてきた子供や体細胞の提供者に対する人権の侵害が現実化・明白化すること  

社会的な観点からは、上記2点の問題を容認することは、人間の個人としての自由な意志や生存が尊重されている状態とは言えず、すべての国民は個人として尊重されるという憲法上の理念に著しく反することとなる(個人の尊重の侵害)。  

  遺伝子が予め決定されている無性生殖であり、受精という男女両性の関わり合いの中、子供の遺伝子が偶然的に定められるという、人間の命の創造に関する基本認識から著しく逸脱するものであり(人間の生殖に関する基本認識からの大きな逸脱)、かつ、親子関係等の家族秩序の混乱が予想されること  

このように、クローン技術を、医療以外の目的に便宜的に用いる場合はもちろんのこと、生殖医療に使用し得る技術と捉えた場合であっても、その人個体の産生への適用は、人間の育種、手段化・道具化との側面を否定し得ない上、個人の尊重及び人間の生殖に関する基本認識をも大きく侵すものである。(同上より抜粋)

 

全く(遺伝的に)同一の個体が生じるというのが、クローンの定義であり、一般にもそのように信じられていると思います。しかし、現在の体細胞クローン技術で生み出される「クローン動物は」実際には、遺伝子発現制御に乱れが生じて、正常個体とは同一ではない生物になっています。細胞のドナーとも違うし、クローン個体同士でも違う生き物が生まれていると考えざるを得ません。

おそらく、多くの異常を持った個体は発生の途中で死亡し、生きて生まれることができる程度に正常な個体のみが生まれているのだと考えられます。もちろん、この中には完全に寿命を全うする個体も含まれますが、短寿命のもの肥満などの様相を示すもの等、体細胞クローン動物に特有の表現型も現れます。すなわち、動物での実験から現在の体細胞クローン技術は体外受精などの他の生殖補助医療に用いられている技術に比べてはるかに多くの問題が見られてるのです。ヒトのような高次の脳機能(精神作用)を持つ生物の体細胞クローンが、仮に一見正常に生まれたとしても、これらの遺伝子発現にわずかな異常が起きたばあいの障害の多様性や頻度等のリスクは、現在全く推測できていません。(http://www.tmd.ac.jp/mri/epgn/human_clone.html 「クローン人間作製」についてのコメント より抜粋)

 

クロ-ン人間の作製については、同一の遺伝子を持った人間であっても、同一の人格が育つわけではないが、人間の尊厳に関わるものであり、人格権の侵害につながる可能性も有している。したがって、倫理・哲学・宗教・文化・法律等の人文社会的側面からクローン人間の作製は禁止すべきものと判断する。(http://www.jba.or.jp/top/bioschool/seminar/q-and-a/motto_37.html もっと知りたい人のためのバイオテクノロジーQ&A より抜粋)

 

均一な遺伝子を持った複数の個体の存在自身を忌避するというなら、世界に大勢いる一卵性双生児の人権さえも否定することになる。それに個人としてのアイデンティティは、遺伝子だけで決まるものではない。発生の途上や生後のさまざまな環境との関わりあい、その間に起こる偶然性の取り込みなど、後天的な要素によって人間の同一性は決定されてゆくのだ。たとえ遺伝子が同一であっても、異なった個性と人格を持った人間が生まれることは、一卵性双生児で経験ずみではないか。(http://www.mikkyo21f.gr.jp/world-objection/cat43/post-181.html エンサイクロメディア空海クローン問題と生命の倫理 より抜粋)

 

クローン技術は先天的遺伝病や不妊症などの治療に一大革新をもたらすにちがいない。しかし、このような目的でクローン人間づくりに賛成する流れを、望ましいとは言い切れない。それは遺伝子を劣性と優性に分けて、劣性遺伝子より優性遺伝子を優位に置く、優生学的な立場を前提にする傾向があるからだ。これに対して、人間の生を決定させるのは生まれ付きの遺伝子だけではなく、後天的な環境も重要だと答えることができる。そして、人間を遺伝子にしたがって劣性と優性に分ける優生学的な立場は、非人間的だと非難することもできよう。だが、私が優生学的な立場を問題視する最たる理由は、その立場の根底に隠されている、「病」や「死」に対する敵対意識である。すなわち、「病」や「死」が、取り除いて破壊させるべき征服対象とみなされていることである。しかし、「病」や「死」を「生」の一部として見つめれば、それらは征服対象ではなく、人生の同伴者となるだろう。(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/ginnan/201001/jyokyu/clone/5kuro-n%20kim%20tonhi.html 生命倫理的観点から見たクローン技術 より抜粋)

 

大きな問題点だと認識されているのが、クローン人間を“人間”として扱うか、それとも“人間以外の存在”として扱うかという点だ。クローンを“人間”と扱う場合、当然人権が認められることとなる。一方で、クローンを“人間以外の存在”と考えれば、人権を無視して移植用の臓器を作るために利用することも可能だろう。しかし、生物学的にヒトであることには違いなく、ここに矛盾が生じてしまい、倫理的な問題が発生するというわけだ。(http://yukan-news.ameba.jp/20130511-116/ クローン人間NGな理由で議論 問題は「人権」「倫理」 より抜粋)

 

④以上を受けての自分の考え

 これ以外にも様々な意見があったが「倫理的にダメ」だけなものが多く納得はできないものだった。

 なぜだめなのかという理由について自分なりにまとめ、納得したのが次の考えである。「どういう目的であれ誕生するのはヒトである。ヒトである以上は人権を認めなければならない。また、現在の技術ではクローニングが成功する確率は低く、産まれたとしても産まれてくるものはテロメアが短いため寿命が短くなってしまい、ほかの人間と平等とは言いにくい。」

ただしこの考え方は技術が向上したならばクローンはしてもよい、ということになってしまう。

 なお、反対意見の一部に遺伝子の多様性が失われるからとあったが、今ある遺伝情報を消しているわけではないので違う気がした。

 また、最初に書いた自分の考えの「自分のクローンを作られてもいい」はクローンとして作られる(この言い方もおかしいが)者の人権を無視しているため間違った考え方であると思う。

 

⑤感想

 予想はしていたが倫理的問題は難しい。何故?と問うことができないからである。「調べる」だと、「こういう意見がある→それに対する自分の反対意見」で完了してしまうため倫理的問題があるからで納得できなかった為、反対派の人間と議論してみたい。あと東大名誉教授と自分の意見が一部同じだったことには驚きを禁じ得なかった。

 あと、クローンというとSFみたいだが、相当数の映画が作られているらしく、見てみたくなった。

 

⑥引用源URL

各文の後ろにもついています。