代理母問題を様々な角度から考える   D組36番


§1 代理出産について

 代理出産とは、子を持ちたいが病気などの理由により妊娠および主産できない女性が、生殖補助医療を用いて第三者の女性に妊娠・出産してもらうことです。代理出産には、大きく分けて2種類の方法があります。サロゲートマザー型とホストマザー型です。サロゲートマザー型では、夫の精子代理母の子宮に注入して受精させます。そのため遺伝学上では夫と代理母の子供となります。ホストマザー型では、女性の卵子と男性の精子体外受精させ、代理母の子宮に入れて妊娠させるという方法です。通常は妻の卵子と夫の精子を用いますが、第三者から卵子精子の提供を受けるというケースもあります。

 日本でも代理出産に関しては度々世間の話題に上りました。初めて日本で代理出産が行われ、公表されたのが2001年5月。諏訪マタニティークリニックの根津医師による姉妹間の代理出産であり、マスメディアに大きく取り上げられました。また2003年には向井亜紀さんがアメリカ在住の女性と契約を結び、双子の男児が産まれましたが、2007年に最高裁代理母を母親とする判決を出し、夫妻と双子は特別養子縁組を組みました。

これらを契機に代理出産にスポットが当たり、今ではネットで少し検索すれば、海外の代理母不妊カップルを結ぶ斡旋業者のサイトが簡単に見つかる状況です。

 

§2 法律の観点から

 現在、日本では代理出産に関しては法律は制定されておらず、学会の自主規制に任せられています。日本産科婦人科学会では、以下の4つの理由を挙げて代理懐胎(代理出産とほぼ同義)を認めないとしています。

.生まれてくる子供の福祉を最優先すべきである。

.代理懐胎は身体的危険性・精神的負担を伴う。

.家族関係を複雑にする。

.代理懐胎契約は倫理的に社会全体が許容しているとは認められない。

また、日本学術会議は、代理母は基本的には認めないという態度を示しつつも、先天的または後天的に子宮を持たない女性に限定して厳重な管理下での代理懐胎を試験的に認めるとしています。

とはいえ、いずれも法的拘束力はないため、違反したからといって法律で罰せられるわけではありません。実際に日本国内で代理出産は根津医師によって行われています。

 

 法律の観点から代理母問題を考えるとき、二つの事柄が争点として挙げられます。一つは、代理出産を法律で禁止するか否か、そしてもう一つは生まれた子供の親は誰であるか、ということです。

代理出産を法律で禁止するか否か

 禁止するべきだという人の意見はいくつかあります。まず、売春と同じように、貧しい女性が斡旋業者の搾取の対象にさせられるという危険が生ずるということです。また、有償で代理出産が行われる場合、子供が売買されることになるのではないかということです。子供が売買されるということは子供の人権や福祉に重大な影響を与えることになりますし、公序良俗に反することにもつながります。

 賛成派の意見としては次のようなものがあります。女性には自分の遺伝子を受け継ぐ子供を持つ権利があるということや、国際人権規約で「婚姻をし、かつ家族を形成する権利」が基本的人権として認められているということです。子供を欲しいという願望は幸福追求権の重要な要素であるというわけです。また、出生率が低下している今、不妊治療の一環として代理出産は有効ではないかという意見もあります。

 確かに、全ての代理出産を法律で禁じてしまうのは適切ではないと思います。現に代理出産を通して幸せな家庭を築いている家族もいるからです。しかし子供を持ちたいという願望が幸福追求権に含まれるから代理出産を合法にするべきだというのは果たして適切でしょうか。その幸福追求権のために子供の権利が危うくなるのは構わないのでしょうか。幸福追求権はとても大事な権利ですが、産まれてくる子供は自分の権利を主張することすらできず、しばしば蚊帳の外に置かれるということを考えると、産まれてくる子供の権利を第一に考えるべきだと思います。

 

生まれた子供の親は誰か

 代理出産が仮に認められるとします。そうすると子供の親は誰になるのでしょうか。現在の日本には、戸籍上の母親は分娩した女性とするルールがあります。したがって代理出産で生まれた子供の母親は必ず代理母ということになります。前章で、代理出産には2種類あると述べましたが、サロゲートマザー型の場合は代理母が遺伝学上の母親でもあるので、代理母が戸籍上の母親となるのは妥当であると言えます。しかしホストマザー型の場合には少し違ってくるのかもしれません。分娩したのは代理母ですが、遺伝学上の母親は依頼者の女性であり、育てるのも依頼者の女性です。現在日本で行われている代理出産では、戸籍上の母親は代理母とし、依頼者夫妻とは特別養子縁組を組む形となっています。もちろん特別養子縁組でも家族は成立するし、普段の生活に何の支障もきたさないのですが、特別養子縁組の手続きは煩雑ですし、よく考えれば完全に血の繋がっている親子なのに養子関係というのは適切とは言えないのではないかという意見もあります。子供に出生に関する話をするときや各種の手続きを行うときも、実の親子関係とするほうがスムーズに事が運ぶと思われます。ただいろいろなケースの代理出産の可能性(たとえば卵子提供を受けて体外受精し、代理出産した場合、遺伝学上の母と産みの母、育ての母はそれぞれ異なることになります。)を考えると、とりあえず産みの母を戸籍上の母とするほうが簡易で、母親が誰かという争いをすることもないので子供の権利が守られやすいのではないかとも考えられます。

 

§3 ビジネスの観点から

日本国内で代理出産を請け負っているのは、長野県の諏訪マタニティークリニックのみであり、その病院でも代理出産できる状況は非常に限られているため(先天的あるいは後天的に子宮がない女性が実の母親に代理出産を依頼するというもの)、代理出産を望む日本人夫婦の多くは斡旋業者を通してアメリカやインド、タイなどの女性に代理母を依頼します。近年ではインドやタイなどアジアに代理母を求める動きが盛んになってきていると言われます。その理由は、先進国の不妊カップルにとってはアメリカの女性に依頼するよりもインドやタイの女性に依頼するほうが安く、現地の女性にとってはとても魅力的な稼ぎ口だからです。

タイ北部には人口850人の「代理母村」と呼ばれる地域があります。20代から30代の女性の、実に5人に1人が代理母を経験しており、依頼者の多くが日本人だといいます。その村に住むある女性は60代の日本人女性の依頼を受け、去年(2013年)女の子を出産しました。2人の子供がいる彼女は、夫婦の収入だけではやりくりが難しく、周りの女性が次々と代理母で報酬を受け取っているのを見て志願しました。報酬は年収の7年分。彼女は、代理出産は倫理的に良い仕事だとは思えないが代理出産をしなければ農地は一生手に入らなかったと言います。一方で悪質な斡旋業者によって被害を受けた代理母もいます。検査に向かう途中で出血、そのまま流産しましたが業者とは連絡がつかなくなり、報酬は打ち切られました。後遺症も残りましたが、その治療費が業者から出ることはありません。

 日本をはじめとする先進国には不妊に悩む裕福な夫婦がいて、発展途上国には命を少々危険にさらしてでも収入を求める女性たちがいます。社会の構造がそうなっている以上、そこをビジネスにしようと考える人が出てくることは不思議ではないし、ある程度仕方のないことだと思います。日本やヨーロッパとタイやインドを結ぶ斡旋業者を無闇に取り締まったところで私たちはタイやインドの女性たちの収入を保証してあげられるわけではないのです。倫理的には問題のあることであっても、代理出産がうまくいって依頼者夫婦は子供を得ることができ、斡旋業者と代理母は莫大な報酬を得ることができるとしたら、本人たちがそれを望んでいるのだとしたら、一概にだめだといってしまうことはできないのではないかと思います。純粋にビジネスのことだけを考えるなら、(言い方は悪いですが)代理出産の斡旋はまたとない魅力的な市場とみることもできるのではないでしょうか。

ただ、社会の構造上ある程度のことは仕方ないと書きましたが、それは容認してよいということではなくて、取り締まるというアプローチだけではだめだろうということです。日本ではしっかりと法で定められておらず、代理出産のリスクを熟知している夫婦は少ないために海外に流れる夫婦が増えるのでしょう。だから、大事なのはしっかりと規則を作った上で、子供を得るには様々な方法があるということや、子供を得る=幸せ、とは限らないという認識を全ての夫婦に持ってもらうことが重要なのではないかと思います。

 

§4 代理母自身の観点から

 アメリカで最初に代理母として出産したエリザベス・ケイン(本名メアリー・ベス)代理母は手記の中で「代理母は苦しみをひとりの女性から別の女性に移す制度でしかないのだ」と言います。

彼女は三人の子供を持つ母親でしたが、親戚や友人が不妊に悩む中自分だけが子宝に恵まれた事にうしろめたさを覚えることがありました。そんな折、新聞広告で代理母の募集を見つけて応募し、アメリカで最初の代理母となったのです。手記から、はマスメディアを始めとする周囲の冷たい反応によって家族がバラバラになったことや、次第に身ごもった子供に愛情を覚えたこと、仲介役の医師の対応の粗雑さが克明に綴られており、代理母の難しさを読み取ることができます。

 一方で、諏訪マタニティークリニックでは子宮がない女性の代わりにその実母が代理母として妊娠するというかたちで子供を得ている女性もいます。この場合、代理母は孫を妊娠することになるので情が移っても問題はなく、また実際に代理母となった女性話ではやはり「実子」ではなく「孫」を妊娠している心持だったということです。

  

代理母本人に関する問題は様々です。エリザベス・ケインのように身ごもった子供に愛着を感じる代理母は他にもいます。例えばエリザベス・ケインとほぼ同時期に代理母となったメアリー・ベス・ホワイトヘッド。彼女は産んだ子供は自分の子供だと主張し、最終的には戸籍上の母親とはなりましたが、養育権は得られませんでした。また代理出産は周囲に受け入れられにくいことや、「流産すれば報酬はなし」や「中絶を決める権利は依頼者夫婦にある」などといった不当な契約を結ばせられることも問題です。法律で代理母の権利を守ることも大事ですし、代理母に志願する女性たちが代理出産の現実について正しく知り、特に精神面でのケアを受けられるようにするということも重要だと思います。

 

最後に-代理母問題について考えてみて-

参考文献として読んだ本はどれも様々な立場から書かれていて、頭の中がなかなかまとまりませんでした。私の代理母に関する認識が甘かったこと、代理母の問題は決して一つの方向からは語りえないこともよくわかりました。藤田先生の授業の際に、代理母を頼まれたら(確か家族からという条件つきではあったと思いますが)自分はどうするかという話が持ち掛けられたとき、私はやってもいいと思いました。まだ妊娠したことがないので妊娠に伴う苦痛はわからないけれど、子供を産むということは素敵なことだと思うしそれで家族の役に立てるならそれは良いことだと思いました。しかし今回レポートに取り組んでみて、その考えは多少ならず動きました。代理出産は本当にみんな(依頼者夫婦、代理母家族、生まれてくる子供など)が幸せになるものなのでしょうか。もちろん幸せになるケースもあるでしょう。ただ、向井夫妻の例にしろ諏訪マタニティークリニックの例にしろ、依頼者と代理母双方に適切な対応をしていたからこそ得られた幸せでしょう。私の心の中からは、妊娠中に情が移ってしまったエリザベス・ケインやベビーM事件の母親のことが消えません。人の感じ方はそれぞれだし、依頼者の夫婦が喜んでくれるならそれだけでいいという女性もいるとは思います。しかし自分がお腹を痛めて産んだ子供を簡単に手放せる女性は少ないのではないかと思うのです。(かなり主観的ではありますが。)参考文献のいくつかには、代理母はただの子供を産む機械ではないのだという意味合いの言葉が書かれていましたが、今こうして自分の意見を整理しているとその意味がすんなりと理解できる気がします。それは単に、代理母の人権を尊重しろというだけではありません。代理母をつとめる女性にもちゃんと感情があり、その感情は尊重されるべきなのだということです。

 

結局こんな短期間で少しの知識をかじったくらいで代理母の問題はこうすればいいという結論が出るわけではありません。私も結婚するなり子供を産むなりすれば意見は変わるのかもしれません。どうしても子供が欲しくて、それでも子供を授かることができない身体だったら代理出産という手段に訴えたくなるかもしれません。私が生活に困っていて、代理母をすれば何年分もの年収が手に入るのだとしたら一も二もなく飛びつくでしょう。  

ただ代理母という制度に違和感を持ちつつあることは事実です。ただ出産するだけでも何があるかわからないのに、さらになにがあるのかわからない代理出産に挑むのでしょうか。周りの人も巻き込まれるし、行く先は必ず明るいとは限らないのに。そこまでして自分の子供が欲しいものなのかどうか、正直なところ私にはわかりません。子供ができたとしても代理出産で生まれたという特別な事情ゆえに様々な困難を経験することもしばしばあると思います。幸せな家族を築くために代理出産という道を選ぶのに、どうしてそのような目にわざわざ遭いに行くのでしょうか。私がこのように思うのは代理母という制度がまだ身近に無いからかもしれません。代理母に理解を示せていないのは私かも知れません。しかし、幸福というのはどういうことなのかを、(法律の章では子供を産みたいという願望は幸福追求権の一部であるという話がありましたが)当事者だけではなく、当事者の周りの人も考えなければならないと思います。結婚し、子供がいる家庭が幸せなのだと、知らないうちに刻み込まれた価値観が代理出産をめぐる負の連鎖を作っているのではないかと思えてなりません。

 

代理母だけではなく、生殖医療問題における賛否は個人の体験や考え方によるところが大きいと思います。実際、私の意見もかなり主観的であると思いますし、参考文献の中でも客観的なものの方が少ないです。(当然といえば当然ですが。)だから主観的であることは悪いことだと思いません。しかし、社会のきまりを作っていく上では様々な意見を客観的に判断しなければならないと思いました。

 

様々な意見を消化しきれずに自分の意見が整理しきれなかったことや、様々な観点から考えてみようと思ったものの全体としてまとまりがなくなってしまったことは反省点ではありますが、興味のある分野について調べ、自分の頭できちんと考えるという過程を踏むことができてよかったと思います。

 

参考文献

代理出産-生殖ビジネスと命の尊厳- 大野和基著/集英社

代理母問題を考える 辻村みよ子/岩波書店

新 いのちの法律学 大谷實著/悠々社

会いたかった-代理母出産という選択- 向井亜紀/幻冬舎

バースマザー-ある代理母の手記- エリザベス・ケイン著/共同通信社

母と娘の代理出産 根津八紘・沢見涼子著/はる書房

代理出産不妊患者の切なる願い- 根津八紘著/小学館

http://dairishussan.blogspot.jp/Baby for All公式サイト)

https://www.ifcbaby.net/n_about/aboutus.htmlIFC公式サイト)

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3558_all.html