尊厳死について  ~尊厳死法制化は実現すべきか~ A組39番


1.    尊厳死とは

 尊厳死には、尊厳を保って迎える死という意味と、患者の意思を尊重して延命治療を行わなかった結果迎える死という意味がある。後者の意味で使われることが多く、このレポートでも特に説明が無ければ後者の意味で用いる。

 尊厳死において、患者がその意思を表明するときに用いる書面を「リビング・ウィル」という。「リビング・ウィル」は、回復する見込みがなく死期が近いときに希望する医療について前もって書面に記しておくもので、日本尊厳死協会では、「尊厳死の宣言書」としてリビング・ウィルを推奨しており、「不治かつ末期での延命措置の中止」「十分な緩和医療の実施」「回復不能遷延性意識障害(持続的植物状態)での生命維持装置の取りやめ」の3項目を記載しているが、内容は人それぞれであり、正式に決められているわけではない。ただ、多くの場合はその特性上、意識がはっきりしていて理性的な判断ができることや、今までの人生を精一杯生きてきて、想定される状況で自分の人生が終わるとしても決して悔やむことはないと思っていることを示すものであると考えられている。

 尊厳死安楽死はしばしば混同して用いられ、誤解を招いている。日本では尊厳死を消極的安楽死安楽死を積極的安楽死と呼ぶことがあるが、尊厳死は先にも述べた通り、患者本人の意思に基づいて延命治療を施さずに迎える自然な死であるのに対し、安楽死は第三者(主に医師)による積極的な医療行為によってもたらされる死のことである。しかし、日本と海外のいくつかの国々では尊厳死の意味が異なっており、日本で尊厳死は前述の意味であるのに対し、アメリカのオレゴン州をはじめとして尊厳死法を制定している州や国では、尊厳死を「医師による自殺幇助」によってもたらされた死と意味づけている。よって、そのような地域で定められている尊厳死法は日本語で言うと「安楽死法」であり、日本でいう尊厳死は自然死として扱われている。

 

 

米国

日本

医師による自殺幇助

尊厳死

安楽死

不治かつ末期の際に、必要以上の延命措置を拒否し、自然な死を迎えること

自然死

尊厳死

(日本と海外で意味が違う?「安楽死」と「尊厳死」を考える より)

 

2.    尊厳死法制化について

 尊厳死法案とは、尊厳死法制化を考える議員連盟によって国会に提出されようとしている「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」のことである。これは、尊厳死に関する法律であり、安楽死については一切触れられていない。

 尊厳死法制化を目指す人々は、患者の意思(リビング・ウィル)の尊重とそれに伴う医療行為における医師の免責を訴えている。東海大安楽死事件の判決で、治療行為中止の3要件として①患者が治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態であること、②治療行為中止の時点で中止を求める患者の意思表示が存在すること、ただし、その時点で患者の明確な意思表示が存在しないときには、リビング・ウィルなどの事前の意思表示や家族の意思表示を通じた患者の意思の推定が許されること、③中止の対象は、疾病治療、対症療法、生命維持などすべての措置が含まれるが、どれをいつ中止するかの決定は、自然の死を迎えさせるという目的に沿って行うこと、があげられているが、一つ目の「末期状態」を判断するには、「臨床医としての蓄積された経験と所見を正しく評価できる力量が必要」(『枯れるように死にたい』より)とされるため、リビング・ウィルがあったとしても特に若い医師は延命治療を継続することがある。現状では東海大安楽死判決の3要件を満たしていれば、医師に刑事・民事責任が問われることはないとされているが、「末期状態」の判断を含め現場での行動指針としては不十分なところがあり、患者の意思に基づいて延命治療を中止したすべての医師が免責されるとは限らないということが懸念されている。よって、今のところ全ての患者の意思、リビング・ウィルが尊重されているわけではない。

 法制化に反対している人々の主張は大きく4つある。

 一つ目は、法案の中で定義されている「終末期」が曖昧であること。これは東海大安楽死判定における3要件にある「末期状態」とほぼ同義であると考えられるが、先の段落でも述べた通り医師の判断に任されており、患者によって様々な状況が考えられるうえ法律で制限することでカバーできないケースが出てくると考えられる。

 二つ目は、重度の障害者や介護を必要とする高齢者に、家族などへの配慮から延命治療の継続を選択しないことを強制してしまう恐れがあること。重度の障害の例として、ALS筋萎縮性側索硬化症)があげられる。この病気はいまだ治療薬が開発されていない難病であり、進行すると全身の筋肉が衰えて嚥下障害と呼吸障害があらわれる。そうすると、できるだけ長く生命を維持するためにはPEG(胃ろう)や人工呼吸器をつける必要がでてくるため、患者はそれらを付けるかどうかの選択を迫られる。しかし、これらの治療をするために長期入院できる病院は限られているので、多くの患者は自宅での療養を希望する。ただ、在宅療養では24時間365日付きっきりで介護する必要があることから、家族に負担をかけないためにこれらの治療を選択しない患者が多く、その数はおよそ7割にのぼる。また、高齢者の場合もPEGや人工呼吸器が必要となったとき、多くのALS患者と同じ選択をする人が多いと考えられる。日本弁護士連合会は、このような事実を受けて2007年8月に「『臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)』に関する意見書」、2012年4月に「『終末期の医療における患者の意思尊重に関する法律案(仮)』に対する会長声明」を発表した。2007年の意見書では、「尊厳死」の法制化を検討する前に、①適切な医療を受ける権利やインフォームド・コンセント原則などの患者の権利を保障する法律を制定し、現在の医療・福祉・介護の諸制度の不備や問題点を改善して、真に患者のための医療が実現されるよう制度と環境が確保されること、②緩和医療、在宅医療・介護、救急医療等が充実されることが必要であるとされている。2012年の声明はこの意見書で示したことをもう一度明示し、法制化に反対するものとなっている。

 三つ目は、厚生労働省や各学会によって定められたガイドラインに則って患者や家族、医師などの当事者がきちんとコミュニケーションを取り、最適な対応をすれば、法制化しなくても患者の意思が正しく反映された尊厳死は実現できると考えられること。現在、厚生労働省から「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」が発表されている。このガイドライン安楽死は対象とされておらず、最善の医療とケアを作り上げるためのプロセスやチームで患者や家族を支える必要性、緩和ケアの重要性などが示されている。しかし、同じ厚生労働省による「人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書」では、このガイドラインを知らない医師が、亡くなる患者を担当する頻度が1ヶ月に1名以上の医師に限定しても、31.2%とおよそ3人に1人にのぼることが明らかになっている。このことから、発表から7年間経っているにも関わらずこのガイドラインが医師の間で十分に周知されていないと言える。よって、このようなガイドラインでは現場での効力が低いと考えられる。

 四つ目は、人の生き方が法律によって拘束されないのと同様に、人の死も法律によって拘束されてはいけないと考えられること。詳しくは後述する。

 私は、尊厳死法制化に反対である。私は特に、前述の三つ目と四つ目の主張を支持する。三つ目の主張に関しては、ガイドラインの周知ができていないことから現場での効力が低いという反論があるが、裏を返せば周知を徹底すれば現場で十分に効力を発揮すると思う。厚生労働省では、広報のためのリーフレットを作成したり、昨年にはガイドラインに示された医療体制のあり方を検証するためにモデル事業の実施を開始したりと、ガイドラインの定着に尽力している。よって、ここからガイドラインがより多くの医療従事者に普及していくことは十分に考えられる。私がいちばん主張したい四つ目の理由については、平川克美氏の意見を支持する。氏の意見は私が理解するには少し難解で、正しく理解できているかわからないが、私なりの解釈で納得できる意見だと判断した。まず尊厳死法制化が難航している一因として一つ目の主張がある。「終末期」の解釈に幅があるため、法律で定めることによって排除されてしまうケースが出てくるということだ。四つ目の主張も同じように説明することができる。法制化に賛成する人が望む「患者の自由意志の尊重」は、リビング・ウェルだけだと捉えられがちであるが、そうではない。つまり、リビング・ウェルを選択しないという意思や自分の死について何も意思表示しないという意思も含まれるはずである。よって、法制化することでリビング・ウェル以外の様々な自由意志が排除されてしまう。人の死のあり方は人それぞれ個別的なものであり、それに対してある意味一つの答えを法律によって出してしまうのはよくないと思う。どの法律でも見受けられるように必ず穴があり、その法律で保障されるべきだと考えられるのに保障されない権利が出てくる。だからこそ、ガイドラインに沿ってサポートする家族や医師らで柔軟に対応していくべきである。また、二つ目の主張に加えて日本弁護士連合会の意見書を紹介したが、これについて、法制化によって延命治療の不開始や中止を認めることは、インフォームド・コンセントの原則「同意のない医療行為は暴行である」に基づく治療拒否権を認めることであるから、立場として法制化に賛成すべきだという指摘がされている。しかし、法制化によって保障される権利が「インフォームド・コンセントの原則に基づく治療拒否権」であるのならば、なおさらインフォームド・コンセントの原則などの患者の権利を保障する法律を先に制定すべきではないかと思われる。

 日本弁護士連合会の声明にも書かれていたが、尊厳死の法制化は医療だけでなく社会全体、文化にまで影響を及ぼす問題である。だからこそ何より、尊厳死に関わる問題でいちばん改善すべきなのは国民の間で十分に議論されていないということであると思う。尊厳死安楽死の違いを知らない人も多いだろうし、マスコミも故意かどうかはわからないがこの2語を曖昧にして報道してきた事実がある。私たち国民ひとりひとりがこのように自分で調べて正しい知識を得て現状を把握し、尊厳死がどうあるべきかを考えることができたら、それが最も良いことだと思うが、実際には難しいだろう。だからこそ、厚生労働省や学会などの各機関はこの問題について積極的に広報活動を行い、国民が入手しやすい形で情報を提供し続けるべきだ。超高齢社会となった日本では死が日常から遠くなっていると言われているが、その分延命治療は日常的になっている。まずは、身近な家族や親戚がもし延命治療が必要な状態になったら、と具体的な状況を想像することからでも尊厳死について考えてみることが重要だと思う。

 

3.    感想

 私は今回レポートを書くにあたって、尊厳死の中でも「尊厳を保って迎える死」という観点から、「自殺は尊厳死か」ということをテーマにしようと考えていた。しかし、多くの人が論じているのは延命治療を行わないことで迎える自然な死としての尊厳死で、本来の尊厳を保って迎える死としての尊厳死について言及している人はほとんど見つからなかった。自殺に関する文献はほとんど読んでいないし尊厳死に関する文献で読んだものもほんの一部であるから、私が知らないというだけかもしれないが、前者の意味での尊厳死について論じている人が多いことは事実だと思う。ただ、長尾和宏氏が著書の中で「平穏に死ぬことは、限りある「生」を楽しんで全うすること」と述べているように(氏は尊厳死のことを「平穏死」と呼んでいる。)、尊厳ある死は尊厳ある生があってこそのものである。リビング・ウィルに人生を精一杯生き、悔いはないことを示す必要があるのはこのためであるはずだ。このことを考えると、自殺は尊厳ある生の延長上にあるだろうか、と疑問を抱かざるを得なかった。また、私がこれをテーマに選んだのは「自分が自分でない状態で生き続けるくらいなら、もう安らかに死にたい」という話を母としたのがきっかけである。祖母が認知症であり、その様子を目の当たりにしていることからも「自分が自分でない状態」というのは認知症の状態が典型例であると考えている。もちろん、東海大安楽死判定における3要件も尊厳死法案も、対象となる患者の条件に「死期が近いこと」が明記されており、「自分が自分でない状態」で現状がいくら尊厳ある生ではないと感じても死ぬことはできない。そこで積極的な医療行為によって死がもたらされるならそれは安楽死であり、安楽死に合法性が認められるには東海大安楽死判定における積極的安楽死が許容されるための4要件を満たす必要がある。当然「自分が自分でない状態」だけではほとんどの要件を満たさない。しかし、認知症が進行して本来の自我がなくなり、自分ではほとんど何もすることができなくなった人々の生に尊厳はあるのだろうか。そんなことを考えると同時に、そのような状態に陥った人々に尊厳ある生を実現させてあげられるのは、サポートする家族と医師をはじめとした医療従事者なのではないか、とも思った。患者がもし、私や母が思っているように「自分が自分じゃない状態で生き続けるのは嫌だ」と思っていながらそのような状態になってしまっても、サポートする側の対応や誠意の尽くし方でその人の「生」を尊厳あるものにしてあげられるのかもしれない。そう思うと、自分は祖母に何ができるだろうか、と考えるきっかけになった。

 尊厳死法制化に関してどのような意見があるのかを調べていくうちに、自分が最初に考えていたテーマにも新しい見方を与えることができたので、今回の調査は非常に有意義なものになった。ポスター作りはもちろん後期の研究でも関連したテーマで取り組むことができたら、この調査で得たことを生かしたい。

 

4.    参考文献

赤林朗、児玉聡、前田正一(2006.05.13)『富山県射水市民病院事件について−日本の延命治療の中止のあり方に関する一提案』

大野竜三(2001)『自分で選ぶ終末期医療 リビング・ウィルのすすめ』

大野竜三『無意味な延命治療の中止をもとめる意思表明書の書き方』

恩田裕之(2005.03.11)『安楽死と末期医療』

介護のほんねニュース(2015.03.15)『日本と海外で意味が違う?「安楽死」と「尊厳死」を考える』

厚生労働省 患者の意思を尊重した人生の最終段階における医療体制について

厚生労働省2015.03)『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』及び、同ガイドラインの解説編

厚生労働省2014.03)『人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書』

児玉聡(2014.06.18)『「尊厳死法案」をめぐる議論の論点整理−−「国民的議論」の活性化の一助として』

尊厳死の法制化を認めない市民の会 ホームページ

田中奈保美(2010)『枯れるように死にたい 「老衰死」ができないわけ』

中日新聞2013.4.23)『<終末期を考える>認知症に「末期」の定義 尊厳死協会が提案』

長尾和宏(2012)『「平穏死」10の条件』

日本尊厳死協会 ホームページ

日本弁護士連合会(2012.04.04)『「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称

)」に対する会長声明』

Live Today For Tomorrow筋萎縮性側索硬化症における人生最後の1ヶ月』

Wikipedia 「安楽死」「尊厳死