延命治療 ~自分の人生は自分の意志で生きる~  D組34番


1.延命治療とは

「一般に、回復の見込みがなく、死期が迫っている終末期の患者への生命維持のための医療行為をいう。人工呼吸器の装着、心臓マッサージや昇圧剤投与による心肺機能の維持、水分や栄養の点滴などがある。ただ、「終末期」の明確な定義はなく「いつまでが救命で、いつからが延命か」という線引きは難しい。」

延命治療については、家族の精神・金銭的負担、尊厳死安楽死など様々な問題が存在している。また、救急で運ばれた場合事前に本人の意思表示がなければ、自然と延命治療は行われる。このような現状において、“自分の人生は自分の意志で生きる”ということをテーマに延命治療について考える。

 

2-1.延命治療と救命治療の狭間

延命治療は、死期が迫った患者の命を人工的につなぎとめているだけというマイナスイメージがもたれることもしばしばあるが、延命治療がほどこされる状況を考えてみるとマイナスイメージだけを持つことはできない。例えば突然意識を失って倒れたとすれば、人工呼吸器などの治療によって生命を維持し、その間に回復を求めあらゆる治療が施される。医療の発達によりこのような手段で数多くの命が救われているが、治療の結果回復の見込みがなくなった段階で救命治療は延命治療となってしまう。ここからも、やはり救命と延命の線引きをすることは困難であることがわかる。つまり、救命治療と延命治療は一直線上に連続して存在しているのである。

 

2-2.延命治療の現状

 一般に日本の医療現場では、治療しないということは許されるが、一度はじめた治療を途中でやめるということは許されないという意見が強い。また、助けられなくても良い命はないという考えから、医療スタッフは患者の心臓や呼吸が止まった際には心肺蘇生を行うようになっている。自殺しようとした人も救命されるのはこのような考えに基づいているからである。

 例えば、延命治療のひとつとして胃瘻というものがある。自らの口から栄養を得られなくなった場合に胃から直接栄養をとれるようにする装置のことである。適切な治療を受ければ後に外すこともできるが、治療の長期化などに伴いそのまま外すことができずに延命治療につながることも少なくはない。初めは栄養をとるつもりだけであったはずが、意識を失ってしまえば延命治療となってしまうのである。ここからも、延命治療が救命治療の延長であることが見て取れる。このような現状により、現在ではこの治療を望まないとしている人が一般に7割ほどいるようである。胃瘻の本来の目的は栄養を送ることであり、栄養がなければ人は生きていけないのであるから、口から栄養を得られない状況であれば胃瘻という選択肢は魅力的なものである。しかしながら、延命治療に繋がるということが人々の胃瘻に対するにネガティブなイメージがつけられてしまっているというのも現状ではないかと思う。

また、家族は治療が止められないが助かる見込みはないという状況の中で精神的苦痛を感じることも少なくなく、他にも最期まで延命治療を受けた場合自然死と比べて治療にかかる費用はその8倍とも言われており、金銭面でも大きな負担が家族にかかる。

そのような現状を含め、自分が意思表示のできない状態で生きるのは好ましくないという考えを持ち延命治療を望まないと生前に考える人も多い。

 

3-1.延命治療を行う派になって考える

 家族の立場から考えると、例えば当事者が事前に意思表示をしていなかった場合、例えその人に助かる見込みがないとしても家族が尊厳死の決断を下すことは、自分たちがその人を殺してしまったような気になってしまう。延命治療を行ってもその人の苦しむ姿を見ることにならないのであれば、延命治療を続けたまま死を待つという考えである。もし、例え、当事者が行わないという意志表示をしていても、家族はできるだけ長く生きてほしいと考えるのも自然な流れであると思う。

また、今は回復の見込みがないかもしれないが、新たな薬が開発されれば助かるのではないかという考えから、その日まで命をつないでおきたいという気持ちを持つ患者やその家族がいることが予想される。2-1でもあげたように延命治療は救命治療の延長線上にあり、その線引きをするのが難しいという特徴をもつ。ゆえにそのような期待を持ち、延命治療を行いたいと考える。延命治療を行うということは、もしかしたらこれがまだ救命治療につながるかもしれないという望みを持ち続けることではないかと思う。

 

3-2.延命治療を行わない派になって考える

 やはり、自分の意思が主張できない植物のような状態で生きていくのは嫌だという考えが大きいと思う。身の回りの世話はすべて他人にしてもらい、自分のしたいこともできないまま死を迎えるまでを過ごすというのは、人としての生き方という点でも納得のいくものではないように思える。そのようにして死んでいくならば、最期の時を迎えるまで自分らしく生きたいというのは人として持つ考えであると思う。

 家族の立場からすれば、3-1の時とは逆に、当事者が自ら動いたり話したりすることができない状態で死んでいくのを見るのはつらいものであると思う。まして、家族にはどうしてあげることもできないのだから、自然に死なせてあげたいという考えが生まれるかもしれない。

 金銭面に関しては、当事者・家族の両方が考える問題であると思う。2-2であげたように延命治療には莫大な費用がかかるため、当事者も残された家族に負担をかけないようにお金を残したいと思うであろうし、家族は経済的事情でやむを得ず治療を行うことができないかもしれない。

 

3-3.アンケートから考える延命治療(みんなの介護より)

①自らの病状に終末期が訪れた時、延命治療を望みますか?

 延命治療を望む47.7% 延命治療は望まない23.8% どちらとも言えない28.4

エンディングノートには何を書いていますか(または書く予定ですか)?

 延命治療が必要か否かについて25.2

③延命治療の是非について、高齢者本人と話をしていますか?

 よく話し合って、結論も出ている35.3% これから話し合おうと思っている20.2

①、②より、患者の多くが延命治療について関心を持ち、半数ほどが延命治療を望まないという考えを持っていることが分かった。延命治療は自分らしさを損なうという考えが圧倒的であった。また、③は介護者(家族)への質問であったが、半数ほどが延命治療という問題に向き合おうとしていることがわかった。

この実際のデータからもわかるように延命治療に関して当事者の意見があることはもちろんであるが、それと同時に家族が積極的にかかわり、当事者と話し合うということがとても大切である。

 

4-1.延命治療の拒否~尊厳死安楽死

尊厳死は行われている延命処置を中止し、自然死を迎えることを示す。一方、安楽死は医師などの第3者が助かる見込みのない患者に薬物などを使い死期を積極的に早めることを示す。尊厳死安楽死も、患者の意思を尊重するという点では同じであるが、日本では安楽死は認められておらず、犯罪となる。犯罪とされてはいない尊厳死ではあっても、各々の状況によって医師が殺人罪に問われる可能性もあり、医師も簡単に尊厳死を受け入れられない現状も存在する(後述参照)。よって、患者が意志表示のできるうちに「尊厳死宣言公正証書」というものを用いて延命治療の拒否を示し、医師の責任を出来るだけ減らしながらも自己決定を出来るだけ実現しようという動きもなされている。しかし、最近では日本救急医学会が延命治療を中止するガイドライン案をまとめ、本人の意思や家族の考えを尊重するという方向性を示している。

 安楽死は積極的な死として認められていない現状があるが、尊厳死が認められているというのは人ひとりひとりの人生を自らの意志で決めるという一つの手段として大いに有効なものであると考えられる。

 「尊厳死」については「不知で末期の患者が本人の意思に従い、生命維持装置による延命治療を断るが、痛みの除去などの十分な緩和ケアを受け、人としての尊厳を保ちつつ、安らかに自然死を遂げること」と定義しており、「死を早める積極的安楽死や自殺幇助を尊厳死とは考えない」としている。

 尊厳死に関する各国の動きは、1981年に世界医師会がリスボン宣言で尊厳死を容認し、1992年には日本医師会も容認。オランダには安楽死法(2001年)、フランスには終末期患者の権利法の「レオネッティ法」(2005年)など、各国の考え方や基準による「尊厳死」を認める法律がある。日本では現在、患者が自ら延命治療の中止を望んだ場合であっても医師が治療を差し控えると罪に問われる可能性がある。これまでにも、家族の了承を得て呼吸器を外した医師が書類送検された「射水市民病院事件」、家族の要望でがん末期患者に塩化カリウムを投与した医師が殺人罪に問われた「東海大学事件」などが起きている。延命治療に関する扱いは非常に敏感な問題になっている。

また、イギリスでは“蘇生措置不要”という意思を示すことができる。延命をしてもほとんど効果が望めない患者の不要な苦痛を終わらせることが本来の目的である。蘇生措置は身体への負担が大きく、肋骨や内臓に損傷を与えることもある。医師の推定では、1015パーセントの患者が息を吹き返すが、中には恒久的な脳障害を負う者もいるとされている。しかし、これらの意思表示を行うという提案は病院側からもたらされるため、患者の中には死を勧められているようであると思う人も少なくはない。

 

4-2.クオリティ・オブ・ライフ(QOL)

 『生活の質』と訳され、人間らしく、満足して生活しているかを評価する概念のことである。医療の発展により延命治療を行うことが可能になった今日であるが、命というものに対して。長さという尺度でのみ評価すべきではないという考えから生まれた。自分らしさが損なわれた状態で生きていくことよりも、人間らしく・自分らしく残りの人生を生きることが大切であるとし、医療関係者と協力しながらそれを実現してゆく。

 この考え方は人として最期まで生きてゆくという点でとても考えられていると思う。医療の発展は人々にあらゆる可能性をもたらし、延命という選択肢すらも与えた。人々は、あらゆる可能性を考え、より良い選択肢を求めてゆく。より良い選択肢が与えられれば、そこに少しのリスクがあろうとも、しないという手段がなかなかできないのが人間ではないかと思う。

 しかし、そんな中で、医療技術によって長く生きられるという状況にあっても長さではなく質にこだわろうというこの考えは、まさに量より質というものだと思う。

 

4-3リビング・ウィル(LW)

(日本尊厳死協会より)

リビング・ウィル(LW)とは、治る見込みがなく、死期が近いときの医療についての希望をあらかじめ書面に記しておくものです。生きているときに意味のある書面です。死後意味のある遺言書とは全く異なります。

協会のLWである「尊厳死の宣言書」は、「不治かつ末期での延命措置の中止」「十分な緩和医療の実施」「回復不能遷延性意識障害(持続的植物状態)での生命維持措置の取りやめ」の3項目を、署名した本人の意思として表明しています。

尊厳死の宣言書( リビング・ウイル Living Will

①私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします。

②ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。

③私が回復不能遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取りやめてください。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。

 

年  月  日

 

自署                                      」

このような形式で作られた宣言書を用いることで、自らの意思を他人に的確に伝えることが可能となった。もちろん、延命治療を行わないからといって苦しみながら死を迎えるというわけではなく、緩和治療というものが行われる。

 

5.まとめ

 現在、医療の発展によって救われる命が多いことは事実であり、とても喜ばしいことであると思う。しかし、救いきれなかった命はなんとも言えない状況で残るのである。自分で食事を取れない、排泄ができない、そのような状況の中で生きて行くことは人間にとって大きな苦痛ではないかと思う。

今回、自分の人生は自分で生きるというテーマで、現在まで当たり前のようになされてきた延命治療という観点から終末期における様々な選択肢を考えてきたが、私はやはり延命治療は行わない方がよいという立場をとる。自分らしい・人間らしい人生というものは自分の意思があるからこそ成り立っていて、人工的に繋ぎとめられた命はあってないようなものではないかと考える。"長生き"することは良いことかもしれないが、それがどのような状態で行われるのかによって、大きな差が出るのではないかと思う。QOLという考えはまさに自分らしい生き方を求めるためのものであり、これはまた人工的な命とは違った人間らしい命のあり方を示すものである。

しかし、いくら自分の人生であるとは言っても、支えてくれる家族と話すことは大切である。家族に伝え、話し合いをした上で、意思を決定することは必要であると考える。今日では、家族の意思で延命治療を中止することも可能であり、そのような観点からも家族に意思を伝えておくことは重要となってくるであろう。逆にいえば、誰もがいつ延命治療を受ける立場になるかわからないのであるから、日ごろ家族で話し合いをしておくことは不可欠ではないかと思う。

と、ここまで延命治療を行わない方がよいという主張をしてきたが、前提として延命治療は救命治療の延長であるということを忘れてはいけない。救命治療はしてほしいけれど、延命治療は受けたくない…というのは医療の現場からすれば難しい問題なのである。よって、どのような状況でどのような処置をしてほしいのかということを意思表示しておくことも必要である。(リビング・ウィルがこの考えにあたる。)

人生の終わり、自分らしく生きていくためにはどのような選択をすればよいのか。これは人によって様々であり、どれが正しくてどれが間違っているのかということはない。自分で人生を見つめ直し、終末期をどのように過ごすかというのは、人生で1番最後にしてとても重要な選択となるのではないかと思う。

 

6.参考文献

延命治療とは(2006-04-22 朝日新聞 朝刊 生活1)

みんなの介護

まさおさまの何でも倫理学

医療法人社団 ナラティブホーム

医療・医学ニュース

一般財団法人 日本尊厳死協会