宗教と中絶 〜北アフリカが抱える問題〜   B組10番


 現代の私たち日本人にとって中絶とは、良いイメージではないものの社会的に受け入れられている。これは1996年(平成8年)母体保護法として改正された法律により正当な中絶の理由を定め、指定医が合法的に手術を行っていることが基盤にあるだろう。宗教の面から考えても、現代の日本社会では一般的に、どの宗教・宗派を信仰しているかはさほど重視されず、個々人も自分の信仰をさほど意識していないことが多い。しかしこれは世界的に少数派であり、厳格に信仰を持った人は多く、そのような宗教・宗派において中絶は非難されることが多い。そんな中、北アフリカで新たな社会問題が注目されている。

 

 北アフリカに位置するモロッコ。国民の大半がイスラム教徒であるこの国では、以前は未婚の男女が交際することは一般的ではなかった。しかし、ここ数年でヨーロッパに近いこともあり、世俗化が進む中、若者たちのライフスタイルが変化。携帯電話やソーシャルメディアの普及で出会いの機会も多くなり、親に隠れて自由恋愛をする若者たちが増えた。

 自由恋愛が広がる中、未婚のまま妊娠するケースが増加。しかし、「自分では身を守れない罪のない胎児を殺害することに他ならない」とするイスラム教の教えに基づき、モロッコでは中絶は法律で禁止されている。すると“望まない妊娠”にもかかわらず、出産を余儀なくされる女性たち。深刻な社会問題が急増している。

 その一つが、親が育児を放棄するケース。ある児童養護施設では、3歳から15歳までの子供が100人近く暮らしており、最近見捨てられたり、路地裏に置き去りにされたりする子供の割合が増えていると言う。

 また出産後、育児に携わる女性にも深刻な問題が待ち構えている。未婚で出産した場合、家族に事情を打ち明けらないまま家を出る女性も少なくない。こうしたシングルマザーは社会に受け入れられないため、経済的な自立が難しくホームレスになりがちである。それだけでない。生まれてくる子供も『教えに反した者』というレッテルを貼られ社会的に差別されるのである。

 こうした社会問題をなくすため、NGOを立ち上げ、中絶の合法化を訴えている女性がいる。ベティ・ラシュガーさんだ。彼女は勉強会や議論の場をたびたび設け、中絶合法化の必要性を主張してきた。フェイスブックを通じた呼びかけには、1,000人以上が賛同した。

「私たちは個人の自由のために闘っています。
個人の自由は非常に価値あるものです。
他のイスラムの国々でも若い人を中心に、性や出産の権利について議論が高まっています。」と彼女は言う。またベティさんは、中絶の合法化で救われるのは、自由恋愛による妊娠だけではないと考えている。


 

 それは性的暴力による妊娠だ。モロッコのある30歳の女性は5年前、路上で見知らぬ男に襲われた。1か月後、体調を崩して病院に行くと妊娠を告げられた。途方にくれた女性がすがったのは、違法に行われる闇の中絶だった。要求された手術費は月収の倍を超える5万円。両親に理解されなかったその女性は、友人から借金をして手術代をまかなった。手術は粗末な設備の部屋で不安の中行われた。その女性は問題を抱えた女だとされ結婚ができず、死んだほうがマシだと思いながら暮らしている。

 深刻化する“望まない妊娠”をめぐる社会問題。今年(2015年)3月、モロッコ政府は性的暴行など一部のケースについて、中絶を合法化するよう検討を始めた。これは国民の中でも大きな議題となり、地元テレビ局の討論会でベティさんは積極的に発言。「宗教を他人に押し付けるべきではない。個人の自由だ。」しかし、彼女の意見に根強い反対派も。「赤ん坊の生きる権利を侵す自由は認められない。」とするイスラム学者がいる。

 ベティさんは「宗教的な価値観を重んじる人がいまだに多く、自分たちの主張を支持してもらうのは簡単ではないと感じています。ただ、私たちはタブーとされてきた問題を取り上げています。
まず議論を始めることが第一歩だと思います。」と言う。

 “望まない妊娠”とどう向き合うのか、モロッコでは議論が始まったばかりだ。

 

 中東の中で世俗的とされているモロッコでさえ、中絶についてはタブー視されており、やっと議論が始まったばかりなのかと驚いた。やはり根底にはイスラム教の『人を殺してはいけない』という考えがある。それでも、モロッコ内でさえ違法な中絶が年間800件を上る推計がある中で、本当に宗教の教えというだけで中絶問題を片付けて良いものかと改めて考えさせられた。ここでは三つの疑問について考えてみる。

 

 第一に、イスラム教に限らずキリスト教を代表として世界の多くの宗教は中絶を認めてない。その多くは、生まれる前の胎児であっても未来のある生命であり、抵抗できない弱い存在を中絶することは、殺人に他ならないとしている。では本当にこの教えを強要しないといけないのだろうか?私はそうは思わない。最も優先すべきなのは母親であり、お腹の中の胎児ではないというのが私の意見である。

 まず、母親が望まない妊娠した場合、だれが幸せになるのだろうか。モロッコの例にあるように経済的な理由で生まれた子供を放棄する母親が多く、その母親は一生罪の意識と社会的な孤独を背負って生きねばならず、生まれた子供も親に捨てられたことで心に抱える穴は大きいはずだ。また強姦により妊娠した場合は産むこと自体母親を苦しめることが多いだろう。それならば国が正当な中絶の理由を定め合法化し、母親を守ることを最優先にすべきだと考える。このような中絶左派は近代社会で大きな影響を与え、多くの先進国では合法化を勝ち取っている。(図1)省略

 このような欧米諸国では“望まない妊娠”について「女性の権利として認められるべき」とする意見が、妊娠した以上産むべきでられるとする意見が大きく上回っている。

 しかし、モロッコのような発展途上国(アフリカ諸国や東南アジア)を中心に中絶に対し右派の考え方が根強く、まだまだ認められてない国も多い。このような国々では、社会が猛スピードで変化する中で、新たに生まれる近代的な価値観と伝統的・宗教的な価値観との間でどう折り合いをつけていくべきか早急に、そして悲しむ人が生まれないように、判断すべきだ。そして中絶が合法化されることを強く願いたい。(もちろんここでは“望まない妊娠”の場合のことであり、単に中絶を推奨したいわけではなく、正当な理由の元合法化されることである。また、優生学に基づき障害者の子供を中絶するような差別問題は、宗教とは異なるためここでは取り上げないでおく。)

 

 第二に、宗教家の掲げる胎児がすでに権利を与えられた人間であるのだろうか?いわゆる宿った命をどう捉えるかという問題だ。以前の生命論の授業でも話題となったこの問題だが、これは私たち高校生の間でさえ、個人差がある問題だ。となると世界においてはもっと多様な意見があるだろう。

 日本の母体保護法において中絶を行う基準は「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」と定められており、医学的に妊娠22週未満と線引きをしている。ただ、これは医療上の理由で母親に危険が及ぶ可能性が高く、中絶が法的に認められていないのであり、子供のことを考慮したものではないと私は考える。すなわち、この点において胎児よりも母親を優先していると思われる。出生前の胎児に権利が一切ないことはないだろう、ただし前記の通り母親のほうが優先されるべきだと私は考えている。これに対する意見は多いだろう。これまでに紹介してきた宗教においては胎児の権利を認め、中絶を殺人とみなすといった。

 だが、これに関して特異な宗教が存在する。それはユダヤ教だ。ユダヤ教は、胎児は頭部が形成された時点で人間と見なされるようになると考えられているため、妊娠初期の中絶に関しては、女性の選択肢として認められている。最初これを知った時果たしは驚きを隠せなかった。このように多種多様な考えがあるものだと改めて思った。

 

 第三に、中絶問題が当事者である女性には関心があるものの、男性には関心が薄く、反対する人が多い現状もよく見る構造ではないだろうか?男性である私にも他人事ではない。男女の関係が変化し問題が増加する中、“望まない妊娠”の中絶を決定し、手術を行われるのは女性である。しかし、妊娠には必ず男性が関わっているにもかかわらず、男性の関心が薄い状況は、中絶問題に限らず、様々な性問題、男女の社会問題に多くみられる。そして例のごとく、これは発展途上国においてさらに深刻にみられる。これも私たちが見つめ直さないといけない問題の一つである。

 そんな中、モロッコのNGOは、女性が自分の身を守るためにはまずは『教育』が必要だと考えて、学校や家庭で教えることのない、性教育や避妊の方法を教える取り組みを始めた所がある。これに対して厳格なイスラム教徒は、そもそも結婚前の交際を認めていないのに結婚前の女性に性教育を受けさせるのは問題だとする立場で反対し、NGOの取り組みは広がりを見せていないようだ。

 このような取り組みが阻害されることは言語道断であり、やはり宗教の根強さが垣間見られる。

 

 今回、中絶について宗教の面から考えてみた。やはり宗教と中絶は切っても切り離されない、大きな社会問題であり、そして近年やっと話題に上がり、議論がなされ始めたようになったとだと知った。余談ではあるが、今年2015年3月にモロッコで始まった議論は、実は国王の呼びかけから始まったという。このように各国が動き始めた中、私たちも、また一度踏みとどまり中絶について考えないといけないのではないだろうか。私も今回中絶問題を詳しく調べることにより、様々な意見を知り、また自分の意見を持てるようになった。

 ではどのような取り組みを行えば、多くの人に中絶の関心を持ってもらえるだろうか?最後にそれを考えてみた。

 

 まず多様な意見や知識を、正しく知ること・知らせることが必要だ。

日本においてもまだまだ、中絶を悪いものとしか考えず、知ろうとする人は少なく、間違った知識の人々が多いだろう。そのような人々は正しく知ることをし、そしてそのような人々に知らせる必要がある。また中絶によって、“望まない妊娠”をした母親が救われることも知ってほしい。そのためにも学校教育の時間に中絶について考える時間が必要だと思う。

 また、この問題を男女一緒に考える必要も感じた。男女平等を謳う世界の中でこのような側面でも差別は良くない。そして、生まれてくる罪のない子供たちが幸せに暮らせるためにも、必要だと感じた。

 

 宗教も人間にとって大切である。もちろんここで挙げた問題以外にも、中絶には合併症や精神的影響も多いため、一概に中絶が良いと決めることはできない。ただ、モロッコのように悲しみ苦痛に耐え生きる人々がいる現状を知った上で、皆さんも宗教と中絶について考えていただきたい。

 

 

参考文献

  NHK 国際報道2015 “望まない妊娠”とどう向き合う〜中絶問題に揺れるモロッコ

http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2015/06/0602.html

  ウィキペディア 人工妊娠中絶

https://ja.wikipedia.org/wiki/人工妊娠中絶#.E5.AE.97.E6.95.99.E3.81.8B.E3.82.89.E3.81.BF.E3.81.9F.E4.B8.AD.E7.B5.B6