第13回Part1 iPS細胞が変える医療(校外活動)

更新遅れててすみません
9月7日に大阪国際会議場で開かれました、読売新聞主催の「ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム」に行ってまいりました報告をさせていただきます。

概要

ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「次世代へのメッセージ」

参加受賞者 山中伸弥さん 2012年ノーベル生理学・医学賞 京都大学iPS細胞研究所所長/教授
講演・パネリスト 高橋政代さん 理化学研究所プロジェクトリーダー

テーマ 『iPS細胞が変える医療』

ゲストのお二人ご講演を1時間半程いただき、その後1時間程度のパネルディスカッションというスケジュールでした。大阪府内の学校から約300人の学生が招待され、一般の方と合わせのべ400人あまりが参加しました。
以下、フォーラムの内容を簡単にまとめさせていただきます。

山中伸弥教授の基調講演

・医学研究者への道
整形外科医を目指した時、精髄損傷によって二度と現場に復帰できない人々がいることを知り、今の医療では治せない人を将来治したいと決めた。卒業後、臨床医ではなく医学研究のため大学院へ、さらに4年間医学研究のためアメリカで過ごした。

・V&W
アメリカで教わった秘訣が「Vision & Hard Work」だ。これは恩師のロバートマーレ氏の言葉で、「日本人はWは得意だが、Vが持ててない」と言われた時、なぜ自分が医学者になったのかを忘れないようVをしっかり持とうと決めた。Vがしっかりしていると判断が楽になるという。
ただし、Vは簡単には見つからないので、いろんな経験を積みVを見つけて欲しいと山中教授は言う。

・PAD
アメリカに滞在中ES細胞が発見され、医学・生物研究が飛躍した。そしてその謎に魅了される。
娘が小学生になる時帰国を決意。一人アメリカに残ろうともしたが、研究は辛く半年で諦め家族の元へ帰国した。
しかし、同じような満足いく研究が日本でできる訳ではなかった。後ろ盾がないため認められない。200匹ものネズミの世話。人間の病気を治したいのになぜネズミの研究ばかりするのかと理解されない。その時の自分の状態をPAD(Post America Depression )だと山中教授は名付けている。Vを持っても逃げ出す一歩手前だった。

・研究リーダーとして独立
その時救いとなった出来事が2つあった。まず人間のES細胞の発見により再生医療が可能なものになったこと。そして1999年に奈良先端大で研究リーダーとして独立できたことだ。アメリカに近い環境で研究室を持てた時、Vをしっかり決めること考えた。「ES細胞の問題点のである受精卵を利用を克服するために、皮膚の細胞をリセットして同じような細胞をつくる」理論上可能だが20~30年かかると言われる研究に3人が参加した。そしてHard Workのおかげでわずか6年で人工多能性幹細胞(iPS細胞)という偉業を成し遂げてた。

再生医療と薬の開発
iPS細胞は、皮膚の細胞を人工的に赤ちゃんの細胞にタイムスリップさせてでき、そこから様々な細胞に生まれ変わる画期的な技術だ。この様々な細胞は再生医療として患者の体の一部として戻すほか、過去に起こった病気の再現をして、そこから薬の開発に繋げる利用が期待され行われている。後者はツールとしてiPS細胞を使うため長い時間がかかるほか、再生医療と比べるとあまり気付かないことが多いが、重要なことである。