ハンセン病を生きて―きみたちに伝えたいこと―を読んで (4)

            「ハンセン病を生きて」を読んで
                                
 この本を読み、ハンセン病の基礎知識を得て感じたのは、より多くのことを学ぶ必要があるということである。ハンセン病が感染力の強い病であるとされ、患者が強制的に隔離されたという歴史は消えることのないものであり、日本人が犯した大きな過ちであることは認めざるを得ない。しかし、それは現在の我々が知識を得たからこそいえる事後論であるのではないかと感じた。知識のない人々が未知の病を怖がるのは無理のないことであるし、それらから生まれた偏見がなかなか払拭されないのも今の日本ではやむなしと言えるかもしれない。我々はより多くを学び、我々の社会と密接に結びついている偏見について考えてなくてはならないと思った。
 この本を読んだ一番主な感想は「人間とは身勝手なものだなあ」というものだ。そしてその身勝手さは自分にもあるものだと思い、それについて考えるきっかけになった。つまりは「差別」についてである。人間は一人一人違う考えを持っている。それは至極当然である。しかし、本能的に自分と異なるものを嫌い、排除するという共通点を持つ。これはすべての人間が否定できない事実だと思っている。虫や姿形が異なった動物を嫌うように、自分と少しの気に食わない違いのある人間を排除しようとする。それが人間の本能であり、それらの違いを持った人間を排除するために、人間は民主主義という数の暴力を確立した。差別はそれがルーツだと思っている。つまり、違いを持ったものが現れることで社会からその少数派を淘汰しようとする働きが差別だ。だから、差別は本能的であり、いじめが無くならないのと同様に根絶するのは困難を極める。たとえ、大人たちが正しい知識を得てもだ。だから、差別を廃止しようという「試み」が生まれるのだ。誰かが言い出さなければ、誰かが試みなければ差別は消えない。自然消滅することはない。皆差別はいけないということは分かっているのになぜか。それは心のどこかで本能的にその人間を忌み嫌っているからだ。
 ハンセン病が治る病気だと分かったのに隔離政策をやめなかったことは、前述した通り日本の大きな過ちだ。しかし、もしそれらの政策が終わってきちんとした情報が世間に広まったとしても差別の完全撤廃はできていなかったのではないかと思う。表面上で差別を無くすことはそう難しくない。アメリカの黒人差別や、女性差別はほとんど無くなったように見える。しかし、差別の根底は人間の本能である。そこを根絶やしにすることは容易ではない。差別を完全に無くすことができるのははるか未来のことになるかもしれない。
 これから僕たちは色々な知識を得て、差別された側の人々の話を多く聞くことになるだろう。そしてその度に、差別はいけない、差別をなくさなければと考えるだろう。しかし、そう考えている僕たちの心には、彼らを嫌い、本能的に拒否したがる心があることを忘れてはならない。この本を読んで差別はいけないという僕の大前提が揺らぎだした気がする。振り出しに戻って学習し、深くまで自分の本心を探求できることを期待している。