国立ハンセン病資料館レポート D-M


患者の当時の様子
  資料館に行くまで、私はある程度ハンセン病について知っているつもりだったが、実際に資料館へ行き、学芸員さんの話を聞くと今まで知っているだけだった事柄の原因と結果の関係がよく分かり深く理解することができた。具体的に書くと、今まで私は患者が過酷な労働によって死亡していたという事しか知らなかったが、実際は政府が療養所に予算を少ししか出さなかったため、看護する人が少なく、患者達自身が他の患者も看護しなければならなかったからだ。看護は二十四時間続き、更に病気が悪化してしまう。他にはハンセン病の元患者は芸術の才能が優れている人が多かった事は知っていたが、それは療養所では名前を変えたり、食器などが全て共用だったりして、自分らしさが無かったのでより自己表現をすることで芸術が盛んになったからだ。特に小説や音楽が盛んで、小説は紙と筆だけでできるので物資の少なかった療養所でも可能だった。また、音楽は知覚麻痺などで手が使えなくなった患者や目が見えなくなった患者にとってもできるものだった。
細かい事だとしても、深く知ることができて良かったと思う。
私たちはこれからどうして行くべきなのか?
 これは完全な答えが知れたわけではないが、資料館に行って、その答えの重要な要素が得られたと思う。
一つ目は受け入れる人になるという事だ。療養所ではほとんどの人が家族と縁を切り社会からも差別されてきた。そんな人たちに対して私たちは、まず受け入れることが大事なのではないか。これは資料館に行って、より詳しく元患者の事を知れたからこそ得られた事だと思う。
二つ目は、一つ目から発展して、元患者を一人一人の人間として見るという事だ。これは、資料館の学芸員さんから話していただいた事だが、ハンセン病の元患者でくくると、ほとんどの人が同じように思えるが一人一人家族がいて、個性があって違う人なのだから一人一人を自分たちと同じような一人の人間として考えるべきだという事だ。私はこれに深く共感した。
この二つを基にして、もっと自分なりの答えを探していきたいと思った。

感想
 私は、三年生になり生命論を選択したことによって、ハンセン病について深く知る機会が増えた。課題でハンセン病の本を読んだり、生命論の授業でハンセン病の講義を受けたりして、最近私の中でのハンセン病に対する興味がどんどん増えている。今回の東京にある国立ハンセン病資料館に行くという事も、なかなか出来ない貴重な機会だったので、とても楽しみにしていた。
資料館に着いて、改めて感じたのは、誰かに説明してもらう事のありがたさだ。私たちは、博物館の学芸員さんに説明してもらう前に、一度自分たちで資料館を周った。私はハンセン病についてある程度の流れは知っていたつもりだったので、展示品を軽く流しながら見ただけだったが、学芸員さんに説明していただきながら展示品を見ると、自分で展示品を見ていた時より何倍も面白く思えた。自分の知らなかった事柄はもちろん、知っていたことに対しても、新たな発見があった。改めて、人に教えてもらうありがたさを感じた。
博物館の展示物で印象に残っているものは、ハンセン病の元患者が失ったものの展示だ。これは形のある物ではないので、文字で紙に四つ書かれていた。家族との絆、入所前の生活、社会との共生、人生の選択。どれも人間として当たり前の権利だが、それが奪われていたということが小さな展示だったが強烈に伝わった。ハンセン病が引き起こした問題の重要性を改めて深く感じた。
学芸員さんがおっしゃっていた事だが、元患者さんの高齢化が進み、本物を伝える事が難しくなってきている。ハンセン病によって引き起こされた様々な問題は決して繰り返してはいけない事だし、私たち現代の人々がハンセン病問題から学ぶ事はたくさんある。私は本物をできるだけ後世にも残し、そしてそれを受け継いでいけるように、多くの人がハンセン病について知る機会を増やすべきだと感じた。
博物館見学を通して、今まで知っていた事もより深く知る事ができ、良い経験になった。これからもハンセン病について調べていきたいと思った。