ハンセン病資料館見学レポート  D8

まず、この見学を通して1番考えさせられ、心に残ったことを箇条書きにする。

・日本政府の政策
医学が進歩していない中、正しいとされていた隔離政策をとるのは仕方がなかったかもしれない。しかし、隔離した“療養所”は名ばかりで何も治療しないし、それどころか患者に労働をさせるなんて無茶苦茶な話だと思った。それにも関わらず、「療養所に入ればきちんとした治療が受けられる」というようなことをうたったパンフレットを配り半ば強制的に感染者を療養所に収容したり、患者出た家を徹底的に消毒したりするといった政府の方針がハンセン病=穢れた病という一般の人々の差別意識をより強くさせたに違いないと思う。また、医学が進歩し他の国では隔離政策を廃止し、患者を解放するところも増えてきたのにも関わらず、日本は最後まで隔離を続けたことが疑問だった。日本は昔から海外を真似したのになぜこれは外国に流されなかったのか、それほど労働力が必要だったのか。

・差別はいかにして生まれるのか
ハンセン病の場合、外見が自分と違うことで、「うわ、嫌だな」とか「気持ち悪い」と少しでも感じてしまうことが差別につながるのだと思った。でも、そのような感情を抱くなどというのは綺麗事だ。もしそのような感情が芽生えたとしても、その人の内面や本質そのものを否定しないことだ。ハンセン病の影響で見た目が違っていても、考えることや、思うことは私たちと何ら変わり
のない1人の人間だということを理解する重要性を感じた。

私は「あん」という小説を読んだとき初めてハンセン病(らい病)という病気の存在を知った。指の曲がったハンセン病回復者の老婦人が登場する本でとても印象に残っている。それから特に自分でハンセン病について調べようとしたこともなかったので、資料館では初めて学ぶことばかりだった。まず、ハンセン病(らい病)が日本書紀旧約聖書にまで書かれているような古代からある病気ということに驚いた。この医学の発展していない古代からの口伝などがまた、ハンセン病固定観念を生み出していると知り、やるせない気持ちになった。そして何より驚いたのは、まだ全国の療養所で暮らす人がいるという事実だった。私はてっきり、もうハンセン病は完全に治ったから療養所というのは過去の記憶を残すために保存されているだけの建物かと思っていた。しかし、多磨全生園を含む全国の療養所に未だ1500名ほどの方が暮らしていると知り衝撃だった。その方々は小さい頃から隔離され、故郷と決別し身寄りもないため、療養所で生涯を終えるしかないのだと聞き、今の療養所の存在の意味を初めて理解した。世の中のほとんどの人はこのことを知らないと思う。きっと「療養所」という言葉を聞いただけで「まだ病気が治っていないのだ」と勘違いするだろう。ここからまたマイナスの感情が生まれ差別が広がるのだと思う。先ほど上で述べたのに加えて差別は人々の「共感」によって生まれると私は考える。個人個人がマイナスの感情を持っていてもそれだけで済むかもしれないが、その感情を人と共有、共感したときそれは「あ、皆が同じように感じているんだ」と大きな力となって差別になっていくのだと思う。だからどうすれば良いとかの解決法は難しいけれど、まずはハンセン病がどのような病気なのか、どのような歴史を辿ってきたのか知ることから始まると思う。
資料館を訪れて、互いの違いを受け入れられる、差別のない社会になってほしいと切実に思った。多磨全生園を訪れることができなかったのは残念だったが、とても貴重な経験をする機会をいただけて感謝でいっぱいだ。