国立ハンセン病資料館研修 D37

・日本に建てられた療養所はほとんど外国人によるもの。日本ではずっと遺伝だと思われ癩病言われていた病気が実は感染症だということを明らかにしたのも外国人。しかし戦争により外国人の迫害が起こり、そうした運動も無くなってしまった。日本は移らないとわかっているのにまだらい予防法が生きていた頃、外国ではすでに社会復帰が始まっていた。
→外国の方がハンセン病に対する運動が多く理解が深いような気がした。日本はヨーロッパに憧れを抱いていたはずなのになぜハンセン病への対応がこんなに悪かったのか不思議に思う。

ハンセン病患者だった人が主に小学生に講演をしている。
若い人たちに伝えることが大切。展示されている文面がすごく分かりやすい言葉で書かれていたり、ビデオも子供向きだったりと資料館は小学生をターゲットにしているのかなと感じた。裏を返せばわたしたちのような中高生はあまり学ばないのだろうかと思った。高齢化している療養者たちがいなくなり使われなくなった療養所をどうするのかなどの問題を解決していくのは今後社会を担うわたしたちなのでハンセン病のことを知る必要があると思う。


今回の研修を通して、特に差別について考えたのでここに書きます。わたしは今回ハンセン病についてほぼゼロの知識で東京に行きました。資料館のブースでハンセン病の歴史を学び一番驚いたことは、ハンセン病(そのころは癩病)がかなり昔からあったことです。わたしは今まで世界が発達していく弊害として最近出てきた病原菌のようなものだと思っていました。しかし日本史で習った絵巻物や資料に記載されていたことを知り、その時代からずっと差別を受けていたことを知りました。差別の一番の理由は見た目だと思います。これはハンセン病に関係なく、差別は言い過ぎかもしれませんが世の中は見た目が重視されます。中身で判断するというのは嘘です。嘘というか、見た目でクリアできないと中身を見ようと思わないからです。古代の医療が発達していない状況でたくさん病気はあったと思いますが、やはりハンセン病は特に目立っていたのでしょう。それがハンセン病が現代まで差別から逃れられなかった一番の理由なのではと感じました。
また現在の状況についても驚かされました。昔よりはだいぶ減ったけれど、新しく生まれる問題もあることを知り、その中でも特にひっかかったのは、今でも治療には最短半年、最長2年はかかるということです。医療が発達してすぐに治る薬が発明されたものだと思っていたので驚きました。しかも想像以上に療養期間が長く、わたしの生活の中で想像するだけでも、半年も治療をしていたら日常生活にそのあとすぐに戻っていけないと思います。例えば友達がずっと休んでいて戻ってきたときにどうしたの?ときいてハンセン病の治療をしていたと言われたら、今まで通り接することができるのでしょうか。わたしははっきりと答えられないです。避けるというわけではなくても、今でも通りにはできない気がします。やはりまだ差別は消えていません。というか消えません。これは始めに書いた見た目の差別とはまた別の差別です。見た目に何の変哲もなく治っていてもハンセン病だったというだけでも社会を生きにくくなってしまいます。簡単に結論を下すことはできないけれど、この問題はきっとしっかり向き合って考えないといけないことだと思います。