国立ハンセン病資料館レポート B1

・桜の木や色んな花ががどこの療養所でも多く育てられていること。それが、この敷地に来てほしい、この場所をずっと残してほしいっていう元患者さん達の気持ちによるものだということ。
・日本が特に差別の強い国だったということ。(他国でもあったと聞いていたから、どの国も同じぐらい酷いと思っていた)
・酷い隔離の中で、多くの芸術が生み出されてきたこと。有名な詩人がいたことや、きっと器用には使えない手であの大きな陶芸品を作っていたこと。
奄美大島の療養所では、子供を産むことができ、それを外のキリスト教協会の方々が引き取って育てていたこと。
・最初は寮生活の中での通い婚しか許されていなかったこと。(通い婚とか平安時代…)
・指がほんの少し曲がっていただけでも、隔離され、その生活によって悪化していった人がいたこと。
・重監房の見取り図?写真?が、最近発見されたということ。(気になる)
・様々な国の歴史的な資料に、ハンセン病は記されていて、宗教によってハンセン病の捉え方が違っていたこと。
・患者が患者の治療を行ったり、厳しい作業をすることで、更に事態を悪化させていっていたこと。
・(長島愛生園しか知らなかったので、島でなく町中にある他の療養所はどう隔離させていたのだろうと思っていたが)荊(?)などで施設を囲まれていたこと。
・外で何かあった(震災など)際に、労働力として外に出れたこともあったこと。
・入所初日に、アニメで見たような、あんな消毒がされたこと。
・療養所には丘があって、それが入所者さん達の当時の強い心の支えになっていたということ。
・当時、亡くなった患者さんの火葬を、生きている患者さんが行ったということ。
・親御さんがハンセン病を患い入所することで1人となってしまう子供は、共に入所することもあったということ。また、その子供はその子供で療養所内の学校に通っていたこと。
・日本の昔の絵巻にも、ハンセン病の患者さんたちが描かれており、当時から差別されていたことがわかること。

東京のハンセン病資料館に行く前にも、本を読んだり講義を受けたりして、歴史的背景や酷い差別のこと、今も療養所で暮らしている方々がいらっしゃることなど、様々なことを知識としては知っていた。だけど資料館を訪れてみて、もっと身近になったというか、頭の中で知っていたことを目で見ることができた気がした。
だいたいはもう知っていることだと思っていたが、新しく知ったことも沢山あった。特に、入所者さん達の当時の暮らしの細かいことや、生みだした芸術作品などは、資料館でしかなかなか詳しく知ることは出来ないと思う。
ご体調が優れないとのことで、語り部の方にお会いできなかったことがなにより残念だが、資料館のすぐ裏に元患者さん達が住んでいるところがあるんだと思うと、本や言葉でしか知らなかったことがすごく現実味を帯びた。
資料館の方が、春は桜が綺麗だと仰っていたので、春に東京に行った時は花見に行ってみたい。療養所の敷地を残したい、この過ちを忘れられないように伝えたい、この場所を賑やかな場所に、そういった元患者さん達の声を知った、若い世代の私達がなにか少しでも出来ることはないだろうか。現在ご存命でいらっしゃる元患者の方々の平均年齢ほ85を超えている。その方々がいま一所懸命に私達に伝えてくださっていることを、10年後20年後も伝えていくことが私達の役割なのではないかと考えさせられた。