長島愛生園 見学感想 3年生(DM)

 私にとって今回の長島愛生園の研修は“本物”を体感できる貴重な機会だった。

 まずは愛生園にバスで向かっている時、今まで本やパンフレットなどでしか見たことのなかった長島の景色や療養所を実際に見る事ができた。見学する前の大阪は天気が少し悪く心配していたが、岡山に着いていざ見学をする時は晴れていて気持ちが良かった。

 最初に行った歴史館の中の展示品で大きく飾られていた長島愛生園のジオラマがあった。それは元患者さんが作った物だと聞き、とても細かく作られていたのでびっくりした。そのジオラマには赤い線が引いてあった。それはハンセン病患者とそれ以外の人の境界線だ。その当時はハンセン病患者は境界線を越えて移動する事ができなかった。歴史館のある事務本館には園長室の復元があり、それは園長室が境界線の向こう側だったので、ハンセン病の元患者さんが園長室を見るために作ったのだ。園長室の復元を見学して、同じ人間であるのにこのような差別は起こってはいけないはずだと感じた。また、歴史館ではハンセン病の患者さんの中学生から高校生時代の作文や詩も展示してあった。ハンセン病になったと診断された時や、まだ幼いのに親と離れ離れになった時の気持ちが書かれていて見るのが辛くなった。自分と同じ年齢、もしくは年下の人がこんなに辛い経験をしていて、自分だと耐えられないかもいれないと思った。自分は恵まれていて、幸せな今を生きているのだと感じた。

 歴史館を見学した後は史跡を見学した。史跡の中の収容桟橋はハンセン病の患者の家族との別れの場所となった場所で、学芸員さんの田村さんによると、この橋を渡った患者さんの心情は様々だったそうだ。家族と離れ離れになると覚悟し、悲しい気持ちになった患者さんもいれば、家族との繋がりが消えてようやく家族に迷惑をかけずに済むと安心し、ホッとした気持ちになった患者さんもいた。その話を聞いて私はなんとも切なくなった。家族と離れる事はとても辛い事であるのに、その自分の思いより家族への思いの方が大きいからだ。自分も見習って家族を大事にしていきたいと思った。他にも収容所や納骨堂などを見学し、実際に史跡を自分の目で見ることによって“本物”を体感する事ができた。史跡は、実際に人々に見てもらう事によって、戻る事のない当時の実態を現世の人々の心により強く残す事が出来ると思う。史跡は残されていくべきだ。また、長島愛生園の史跡が伝えるハンセン病の問題は二度と繰り返してはいけない差別を考えることの出来る大切な問題だ。私は長島愛生園を残していくべきだと深く思った。

 最後に元患者さんの話を聞いた。自分達のために時間をとってたくさんお話ししてくださり、とても貴重な体験だと感じた。話してくださった元患者さんの実体験で、自分の家族の訃報も他人であるバスガイドさんから聞いたという話は特に心が痛んだ。その元患者さんは自分の家族が死んでも、会いにいく事ができないほどの差別をされていたのだ。ハンセン病になったという違いだけでこのような差別をするのは間違っていると思う。元患者さんの話は私たちにハンセン病問題の重大性を再確認させてくれた。元患者さんの話の後に質問の時間がとられた。私が今の楽しみは何ですかと質問すると、人と、特に子供と交流できることが今の楽しみだと答えていただいた。療養所で隔離されていた人にとって、同じ患者さん以外の人との関わりは少なく、また子供を作ることも禁止されていた。その事が関係して人や子供と交流できる事が幸せなのだと答えてくれたのだと思う。私はこの答えを聞き、今の若い人達が元患者さんと交流する場を増やしていくべきだと思った。

 長島愛生園見学は私にハンセン病問題を再確認させてくれる貴重な体験になった。これからもこの経験を忘れずに活かしていきたい。