長島愛生園 見学感想 3年生(D3 )

 私のテーマは世界のハンセン病についてだったので、今回の長島愛生園の研修は本や資料で学んだこと、見たことを実際に見学することが私の目的であった。
 まず歴史館見学でビデオをみさせてもらった。私は資料で写真をみたことはあったが、実際の療養所の映像を見たことがなかったので沢山の人が療養所で暮らしている映像を見ると、これまでよりもハンセン病がについて現実味を帯びた。
 次に歴史博物館を見学させてもらった。私はここで印象に残った展示を三つ挙げておく。
一つは療養所の全体の模型である。その模型の真ん中近くに赤い線があった。それは職員と患者を分けるもので、その赤い線を患者は越えられないことを知った。最初説明を受けたときは衝撃を受けた。療養所の中にも職員と患者との大きな差別があることを強く示したものだと思った。しかし、療養所の中に住んでいたのは患者だけでなく、患者の感染していない子供も住んでいた。患者の子供は差別により貰い手がおらず、一緒に療養所に来るしかなかったそうだ。その子達の学校は職員側にあったため、私はこの赤い線は只単に差別によってされたものではなく、当時食糧難であった環境の中で療養所の未感染児が感染するのを避けたのではないかと考えた。また、模型には自殺場所と書かれた場所があった。後で聞いたところによるとどれくらい自殺者が出たのか分からないらしい。自分が病気であり、重くなっていくことにやりきれなさを感じるときに自殺してしまう場合が多かったそうだ。また場所はそこだけではなかったらしいが、この模型をつくった人がここに自殺場所と書くほどに、自殺した人が多かったのだと思った。
 二つ目は、患者の思いが書かれた展示である。始めて愛生園に連れて来られたこと、自分が病気であることを親に伝えたときの事、悲しかったこと、嬉しかったこと、さまざまな思いがかかれていた。中には涙ぐみそうになった悲しい事も書かれていたが、それとは対照的にこの療養所に入れたこと、そこで出来たことに喜ぶ記述もあり、人によって思いも違うのだと感じた。
 三つ目は元患者のお婆さんが体験談を語る映像である。淡々と自分の体験を語っていたが、私はその中で語られる時間や情景が詳しいことに驚いた。そのお婆さんにとっては何十年も前のことである。ずっと昔の事をそんなにはっきり覚えているものなのか。それほど印象的な事だったのかと驚いた。
 次に施設見学をさせてもらった。その中でも印象に残っているのは監房である。そこはもう埋められていて、監房全体の半分しか見えていなかった。私はハンセン病の隔離政策が無くなった後、患者達がこの苦しめられた監房を埋めたのではないかと思った。
 最後に元患者さんのお話しを聞かせてもらった。元患者さんのビデオを見たことはあったが、生で聞くのは初めてであり、元患者さんにしか聞けないことを聞くことが出来る貴重な時間であった。 その中で「今の療養所での楽しみは、私達のような訪問者と交流することであり、 食事のおかずもたくさん出るし、自由もある。 今が天国のようだ」と仰っていたのを覚えている。また、元患者さんに話を聞く前に施設の方が仰っていた、「可哀想な人の話を聞くと思わないで。患者はここで一生懸命強く生きてきた。強い人の話をきくのだと思ってほしい。」ということも私のなかに強く残った。私はどこかで療養所内が重苦しい雰囲気だったと勘違いしていたと思う。 私は展示を見学している際に、この療養所内での活動の中で野球や、音楽、祭りや運動会などを行っていることを知った。彼らはここで強く生きてきたのだ。
 「差別の事実を語り継いでほしい。」私達にしてほしいことを聞いたところ、このように返ってきた。私は長島愛生園に来て改めて、ハンセン病について多くの人に伝えていくべきだと強く思った。