ハンセン病を生きてーきみたちに伝えたいこと感想文(A18)

私がハンセン病の問題について初めて知ったのは中学生のときです。多分ニュース番組でハンセン病に関することをやっていたのだと思います。私はそのニュースを見たときはこんなことがあったのかと思い、ひどい問題だと思いました。しかしそこから何かさらに調べたり考えたりすることなく生きてきました。しばらく経って高校一年生のときに再びハンセン病の問題について考える機会がありました。この時はSSHの希望制のプログラムで長島愛生園に行くことができましたが行かず、ハンセン病について深く考えることもありませんでした。
そして今回この本を読み初めてハンセン病について深く知り、考えました。
私はこの本をしっかり読みました。そして今まで自分がハンセン病について深く知ろうとしなかったことを深く悔やみました。
この本のはじめに「ハンセン病は、ここ数年の日本では、ほとんど発病しない感染病となりました。それなら、もう克服されつつある病気を、なぜ、今、きみたちに伝えようとしているのか。じつは、ここにこの本の主なテーマがあるのです。残念ながら、人間社会は大きな間違えを数多くおかしてきました。歴史を学ぶことは、あるいは過ちを学び、二度と同じ間違いを繰り返さないための学習と言い換えてもいいのではないかと思います。」と書いてあります。まさにこれがこの本を読む意味だと思いました。ハンセン病について知り、悲しみや苦しみを感じるだけでなく、なにかに生かしていかなければならないのです。そして私は一つこの本から教訓を得ることができました。それは真実を知っているということと自分の行動の中にその真実を組み込むことは別だということです。このことは人助けにおいて生かせると思います。誰かを助けるというのは助けた方がいいとわかっても実際には動けないことが多いからです。私はハンセン病は治療法があり感染病ではないとわかっていながらも起きていた差別ということからこのような考えになりました。

私は生かしていくという考えは記事を読むときにもいかせると思います。それは記事を読み、それを通して何を伝えたいのかということを考えることです。私はよく新聞やロイター通信、AFP通信、ナショナルジオグラフィックなどでさまざまな記事を読みます。各地の伝統や文化、習慣などや環境問題、紛争問題にについてなど...。これらの記事を書く人は必ず読む人にどう感じて欲しいかを考えてるはずです。だから記事を読んで「こんなことがあるねんな」「たいへんやな、悲しいな」だけでなくなぜこの文化は残っていて人々に親しまれているのかということや、この環境問題、紛争は起きていてどうしたら解決するのかというのを考えてみるといいと思います。また、自分がこの問題に実際に直面したらどうするのかなども考えてみるといいかもしれません。
考えてもその考えが固まったり、答えがみつかるとこはないかもしれません。しかし、そうやってさまざまなことを考え、想いを巡らすことが真に「記事読む」ということだと思います。読んだ全ての記事でたくさん考えることはしんどいかもしれません。しかし考えることで必ず新たな発見があり、必ず自分の糧となると思います。自分には関係ないと思う記事でもそうやって読んで欲しいと思います。