「ハンセン病を生きてー君たちに伝えたいこと」感想文 3A32

この著書を読み終えた今と読む前とで、私の中で何が一番変わったかというと、長島愛生園に行くこと、それが少し怖くなったということです。なんなんそれ、この本から学べるもっと大切なことあるやろ、などと思われるかもしれません。しかし、偏見や差別はいけません、相手の気持ちになって考えなさい、それで傷つく人がいます、、、そんなことは当たり前に知っていたことであって別にこの本から学んだ訳でもないだろう、こんな風に思うのは私だけでしょうか。もちろん、読む前と今ではハンセン病に関して持っている知識量も増えたし、もっと知りたいと思う気持ちや、知ってそれを伝え、変えていかなければいけないという気持ちも生じました。では、著者のいう『きみたちに伝えたいこと』とは何だったのでしょうか。
冒頭に書いた、長島愛生園に行くことが怖いというのはきっと、ハンセン病患者あるいは元患者の方と接するにあたって、正しく接することができるのか自信が無いから、だと思います。偏見や差別によって傷つき苦しんできた患者たちのことや、それらのせいで未だ故郷へ帰らずひっそりと暮らしている元患者がいることなどを読んで知った今、過去に過ちを起こしてきた人達と同様にはなりたくないと思うが故、どこまで踏み込んでいいものなのか、自分の言動で傷つけてしまうかもしれない、私たちは何を望まれていてそして自分はそれに応えることができるのか、そんなことを考えると、患者の方たちと対面することが怖くなりました。では、正しい接し方とは何なのでしょうか。同情し、必要以上に気を遣い、へりくだって接することでしょうか。きっとそんなことは望まれていないでしょう。ここまで考えた今、病気をもった人だからといって蔑んだり、逆に同情したり、特別にするのではなく、ただどんな誰に対しても同じように、人として人の心を持って人を相手として接することの大切さ、こんなこともこの本が教えてくれたひとつだったのではないかなと思います。伊波さんの言うように、『心の想像力をはたらかせることによって、私たちは他人の痛みに近づくことはできます』、しかし結局は近づくことしかできないのです。だからこそ、相手の立場になって考えるどうこうではなく、ただ人としての暖かい心を持って人に接することを当たり前にすればいいだけのことではないでしょうか。
真実を知らないこと、無知であることは良いこととは言えませんが、仕方の無いことだとも思います。知ろうとする努力をせずに差別をしたり偏見を持っている人を正しいとは言えませんが、知らないことがひとつもないという人間なんかありえないというのも事実です。ただ、だからといってその無知であるということから、それを差別や偏見に繋げることが間違っているだけだと思うのです。よく知らないけどハンセン病という病気の人がいる、人としての心を持っているのならそんな時、よく知らないというだけで差別するのではなく、偏見を持つ前に知ろうとする努力をするのが当たり前ではないでしょうか。伊波さんが病気について、歴史について書いたのは、私たちが『過ちを学び、二度と同じ間違いを繰り返さないため』。この本を読み終え、知っている者が知らない者に伝え知らせる、その義務を感じた私は今、人としてこれからどう生きるのか、深く考えていかないといけないなと思いました。また18歳になったばかりの今、この著書の中のような冷たい大人にはなりたくない、人として当たり前の心を、子供のような暖かく純粋な心を持った知多き大人になりたいと思いました。