愛生園見学 A29

 ハンセン病についてどれだけ知っていますか?また、長島愛生園のことをあなたはどれだけ知っていますか?

 ハンセン病は、結核菌と近縁である「ライ菌」によって引き起こされる細菌感染症である。免疫力が低く、また衛生環境が劣悪である場合に発症する。症状として斑紋や末梢神経の麻痺が主であるが、表面に症状が現れてしまうので恐れられてしまわれやすく、偏見をもたれやすい。真実の姿は、感染力は低く、適切な処置をすれば後遺症も少ない病気なのだ。
 長島愛生園は、1930年に国立療養所として設立した。現在は「元」ハンセン病患者が生活している場所となっている。当時ハンセン病(ライ病)は遺伝性病気、感染力が強い病気などと危険視する声が多かった。そのため、政府はハンセン病患者を隔離しようと各地域に療養所を設立した。そのうちの一つが愛生園である。設立当初は、軽度の患者が労働力として、畑や施設、住宅の建設や、看護などを行った。患者自身が自分の居場所を作り上げたものが愛生園である。

 今回、愛生園の語り部さんのお話を聞いて、私が感じたことは、「当時のハンセン病患者は、患者として扱われていない。」ということだ。 
 患者は、適切な治療を行うことがもちろん必要である。当時、結核療養所も存在し、そこでは、空気の綺麗な場所で安静することで治療として行われていた。しかし、同じ細菌感染症であるはずであるハンセン病にたいしてはどうであるだろう。安静には程遠い。ハンセン病の症状である末梢神経の麻痺は、労働時につく傷や火傷をしても気付くことができず、悪化してしまうことが多い。療養所としては、こんなことをさけるべきであるはずである。しかし、愛生園は違った。戦時中で労働不足となっていたとしても、わたしは必要最低限の労働にすべきであったと思う。
 もちろん政策として行われた断種、堕胎は必要がなかった。子どもには何の罪もなく、生まれてくることができれば、健康的に生きていたであろう。これは明らかな人権侵害である。だがそのことと同じぐらいに、適切な治療を施さなかったことも大きな問題であると考えている。患者として病気を完治させたいのに、必要な施しを十分にしてもらえないことも人権侵害ではないだろうか。
 
 時代が経過するにつれて、昔に起きた大事件も話題にあがらないようになっていく。出来事が風化していくことで、その当時の人たちの声が薄れていく。事件の反省さえも薄れていき、未来で同じようなことが繰り返されてしまうことも可能性としてはあるであろう。わたしは、愛生園を訪れてこの人権問題が風化しないかが心配になった。そして、同じような過ちが繰り返されないかが心配になった。
 現在愛生園では、約170人の元ハンセン病患者が生活している。しかし、平均年齢85歳とかなり高齢である。この先、語り部さんからお話を聞くことも容易ではなくなっていくであろう。現在長島愛生園を世界遺産として語り継ごうという動きが始まっている。しかし、わたしはこの世界遺産になってからではすこし遅いと思う。それは、生の声が、気持ちが聞くことができなくなるかも知れないからである。文章で残された教訓よりも、お話を聞くことが一番よいと思うからだ。

 最初の質問で「しらないですね。」というひとは、ぜひハンセン病について調べてみてほしい。そして興味を持った人はぜひハンセン病療養所に足を運んで、語り部さんのお話をきいてみてほしい。きっとあなたを見つめなおすきっかけとなるでしょう。