国立ハンセン病資料館見学 A29

 結婚生活は、二人三脚とよく言われる。楽しい事、苦しい事、悲しい事。様々な出来事を共に乗り越えていくことは簡単なことではないだろう。どちらかが耐えられなくなったり、不倫や犯罪などの不祥事を起こした場合は、いくら覚悟があっても、離婚という結末に至ったりする。結婚が単純なものではないことは、十八歳になったばかりの私にも分かる。
 
 ハンセン病患者さん、元患者さんの結婚は、婚姻届を出すことで成立する。…変わったことではない。サインをして、印鑑を押して、保証人をお願いして…、全てが揃い役所に出したら、二人は無事夫婦となる。そして、結婚式をあげたり、同居したり、子どもを持ったりと、二人の家庭を自由に築き始める。しかし、単純にはいかないのがハンセン病患者さん、元ハンセン病患者さんの結婚である。
 
 療養所での結婚の条件として、まず断種手術が要求された。これは、半ば強制だったという。婚姻届を役所に届けて欲しい場合は、断種手術を受けなさいといわれたそうである。そして、結婚式の前日に手術が行われた。未来の扉をくぐる前日に、未来が一つたたれるのである。
 結婚した後も、奥さんのもとに通う「通い婚」だった。仕切りだけが立てられ、プライバシーが守られない状態で、夜だけを共にした。また、共に生活できるようになったとしても、三、四組がわずか十坪程度の部屋での共同生活を強いられた。
 断種手術が失敗していたのか、妊娠した場合は、堕胎手術をさせられた。このとき、夫婦間でいざこざが起こってしまう。夫が妻の浮気を疑うのだ。そんなことはないと妻は弁明するが、断種手術を受けた夫は疑い続けてしまう。自分には子どもを作る能力がないはずと。
 
 次に、療養所の外ではどうだろうか。ここには、断種手術や堕胎手術を強要されることはない。婚姻届も役所に自由に出すことができる。夫婦のプライバシーは守られ、子どもを持つこともできる。療養所とは違って一見幸せそうである。
 だが、周囲の声が結婚の障害となる。子どもを授かった時、「本当に生むのか。」「保育園には入らないでくれ。保育園が潰れてしまう。」などといわれる。元患者との子どもには、ハンセン病の原因因子が含まれているのではと恐れられてしまう。もちろんハンセン病は遺伝などしない。マンションに引っ越そうとしようとしても、断られてしまったり、隣人逃げられてしまったりすることがある。同じ建物には住めないといわれてしまう。

 正しい知識がないとハンセン病は誤解されてしまう。子どもなどの家族に危害が加わってはならないと、元ハンセン病患者であることをカミンググアウトせず、「手足が不自由な人」と偽って暮らすしか平穏な結婚生活なかった。自分の真実を隠して暮らすしかなかったのだ。今回、カミングアウトした後の例として伊波敏男さんと石井春平さんをあげさせていただく。
伊波敏男さんは、包み隠さずにマスコミでカミングアウトをした。なぜマスコミに注目されたかというと、元患者と看護婦との結婚という当時は珍しい組み合わせであったからである。1970年代は、まだハンセン病に対しての偏見が強かったからか、彼が発言するたびに反発が強くなってしまった。実名で公表したため家族に危害が出てしまい、子どもたちを守るため、二人は離婚を選択することとなってしまった。私は、この離婚を引き起こしたのは、周りからの声だと考えている。優しい声を変わりにかけてあげることがなぜできなかったのかわたしは疑問である。深く刻まれてしまったハンセン病の危険なイメージが引き起こしてしまった事件だ。
今回お話をお聞きした石山春平さんは、神山復生病院の職員の女性と結婚し、三人の子どもを授かった。彼は2001年の「ライ予防法違憲国家訴訟」を期に包み隠さずにカミングアウトをし始めた。それ以前は必要な時以外は小児麻痺や事故の後遺症などと偽ってきたらしい。カミングアウトする際、奥様からやはり「家族まで差別されたらどうするの。」と反対されたらしい。が、石山さんは「もし差別されたら、家族を守るために戦う」と団地の人や身体障がい者協会の人々にカミングアウトした。結果は、差別はなく、ねぎらってくれたそうだ。「大変な思いをして生きてきたんですね」と。新聞などで正しい情報が伝わっていた、優しい人だった。様々なことが考えられるが、世の中がよい方向に動いていたことはたしかだ。
 
 療養所、療養所の外。どちらの結婚生活にも障害が多く、その障害は一つ一つは大きい。ただハンセン病になるだけで健常者よりもハードルがあがってしまう。全ての不条理を受け入れた上で結婚を決意しなければいけない。それでも人を愛し、生涯をともにする。この愛の力にわたしは感動した。
 また、結婚という幸せにまで蝕んでしまったハンセン病の人々の偏見は憎むべきものである。人間としての当然の権利を侵害してしまったことは、罪であり、今後も繰り返してはいけないものである。

 今回見学した国立ハンセン病資料館の近くにある多摩全生園がある。その近くには保育所が建てられている。子どもの声を聞き、暮らしたいという願いがかなわれた時、号泣された方が多かったそうだ。自由を侵害した罪は深きものだということが心にひしひしと伝わった。悲しい事件は、今後起きて欲しくないと切実に思う。