国立ハンセン病資料館見学 3A38

語り部さんの話の後、私は1人、個人的に気になった展示の前で30分以上を過ごした。
流石、国立ハンセン病資料館。日本全国どころか、当時日本が支配下に入れていた台湾、韓国、フィリピンでの日本による隔離政策の歴史、その療養所についての資料(実は映像資料)がそこにはあったのだ。
私のハンセン病に対する知識は、学校での説明会、自学、そして長島愛生園で得たものにとどまっていた。
そんな私の今回の見学の目的は、もっと視野を広げること。上記に書いたような狭いもので、ハンセン病に関しての学習を終えないこと。である。

ハンセン病の抱える歴史は、長く、深く、そして暗いものであった。
それが顕著に現れたのが日本をはじめ世界中で行われた、あの時代のハンセン病患者隔離政策なのであろう。
ハンセン病であると診断された人は村では厄介者扱い、しまいには住む場所を追われ、家族も差別され…療養所では経費削減のため、病人に労働を強いる始末。そしてその患者の多くは一生を療養所の中で過ごすことになる…。何が療養所だ!
これが私のハンセン病患者の療養所に至る経緯、療養所でのイメージ、考えであった。
しかし、ある療養所の資料を見て私はこの知識に上書きをするほかなかった。
その療養所では、国の政策に影響されず任意療養という形をとり、患者と看護師の間に垣根はないどころか地域交流も盛ん。労働はしているものの、それは療養所の貧しさ故に患者の任意で始められたもの。そして患者の多くはその病を癒し、社会復帰できている事実。
そういった療養所の多くは、私立。外国の宣教師によって開かれ、カトリック教会から派遣されたシスターのもとで守られた、日本という国にどうこうされない場所だった。

私は目を疑った。
苦しんでいる患者を見つければ「国の恥」として、突き放し、隔離し、隠し、差別し、無かったものにする国。
それとは全く反して「救われるべき人々」として、包み込み、自由を与え、癒し、守った私立キリスト教療養所。
この差は何なのか。本当に同じ人間なのか。
人間はその考え方1つで他の人間の人生を変えてしまうのだ。

日本人のよくある考え方の一つで、「宗教は逃げである」というものがある。
しかし、その「逃げ」ないで「逃げ」ないで、至ったのが国をまとめる当時の統治者、また医者たちのような考えを持つ人々なのであれば、私は「逃げ」るべきなのではないかと思う。
その方が自分にも、他人にも優しくできる人になれるのなら。