国立ハンセン病資料館 A14

曽祖母が突然、満州で暮らした話をしてくれたことがあります。まだ子どもだった曽祖母が戦時中の満州でどれだけ大変な経験をしたかという話でした。
ハンセン病の元患者といえどふつうのおじいちゃんです。というのは、長島愛生園の学芸員である田村さんのおっしゃったことです。初めて回復者に会うとき、回復者に対してなんとなく身構えていた私にとっては意外な言葉でした。ハンセン病やその歴史について色々な話をうかがった直後のことで、ハンセン病患者・元患者が受けてきた差別についても考えていましたから、その語り部に対してどんな態度で話を聞けばいいのかと緊張していました。
しかし、もう今日で4人目の語り部の話を聞いたことになります。今日の方も、ハンセン病であったことを別にして、ふつうのおじいちゃんであろうことは既にわかっていました。これまでの3人はそれぞれに体験を語ってくださいましたが、共通して、ハンセン病と強く生きてきた方なのだろうというのは感じました。そして今日もやっぱり、同様にそれが感じられました。何より感じるのは、曽祖母が自分の体験を話した様子とそう変わらないことです。ハンセン病回復者といえど、私たちが思うほど特別な人間というわけではなく、たとえば孤独のまま死ぬことを不安に思ったり、認知症を患ったり、ふつうのお年寄りとして、人として、悩みを抱えたり抱えなかったりしていると思います。ただ、私たちとなんら変わらないにもかかわらず、理不尽な差別で苦しんだ人たちにはやはり敬意を表す必要があるのではないでしょうか。
私たちはかつてハンセン病患者を自分たちとは違う存在として隔てました。それは間違いだと気づいた現在、まだ気づけていないことがあります。それは、彼らを語るとき、考えるとき、彼らをハンセン病回復者として一括りにしてしまっていることです。本当は彼らの中にもいろんな人がいる。ハンセン病患者であったと打ち明けるべきだと思う人がいれば、隠したままでいたいと思う人がいる。裁判でもっと権利が認められるべきだと活動する人がいれば、それを求めていない人がいる。
私の感想文に不愉快な思いを抱く方もいらっしゃるかもしれません。自分はそうではないと。
だからこそ、このハンセン病問題を考えることは難しい。ハンセン病問題は、裁判で決着がつき、もう解決済みの問題であるかのように思うかもしれません。しかし、実は多面体をした問題で、未だに解決されない面がいくつもあります。そしてそれがハンセン病問題に限った問題ではないことも重要なポイントです。
講演会2回、愛生園3回、授業、発表準備、そして今回の資料館見学を経てやっと、ハンセン病問題や人権問題がいかに複雑で、考えるべき問題か、自分の中に落とし込めた気がします。