活動報告4月18日 B1

今回の授業では4人のグループ内でそれぞれ用意された想定について話し合った。

想定1:着床前診断と胚選別
まずこの想定下では私なら子ども自身のために病気を避けられる方法があるならそうしてやりたいと感じた。
しかし班内では他三人はこの想定には反対であった。そこでこの想定の将来で仮定される「商品」として子どものグレードを選ぶ世界について話し合った。きっと今の世の中では、頭は良い方がいいだろうし、運動神経も良い方がいいだろう。容姿についても身長は高い方が良い等それぞれの観点についてある程度一般的な価値基準があるだろう。それに則って胚選別が行われる世界が現れるとしたら、それは民族の同一化、則ち異端な者はいないという世界である。そのような世界では全く新しい文化というのは生まれないだろう。また障がい者障がい者たらしめているのは本人でなくその他の人間だという話もした。
確かに私も上記のような世界を求めるようなことはない。しかし子どもを思うなら、できるだけ苦労させたくないと思う。しかしそれ以前に血縁関係のある子どもでなくても良いのではないかとも思う。


想定2:クローン・ベビー
まず私はこの想定下ならクローン・ベビーが生まれても良いのではないかと思った。なぜならもし女性の恋人が亡くなっていなければ恐らく生まれたであろう子どもだからである。
班内でも全員が同じ意見だった。そして話はクローン・ベビーの技術を応用した、有能な学者・政治家等の復活の話になった。しかしそれに関しては班内では否定的な意見が多かった。なぜなら、生まれた子どもに特定の仕事を強いるのは職業選択の自由を奪うことになるからだ。また彼らがそもそも有能だとして評価されたことは少なからず周りの環境に依存している。例えば時代背景や家庭環境などだその子どもに関わる人間全てを復活させていたらきりが無いしまた彼らの自由を奪うことにもなる。



想定3:ドナー・ベビー
まずこの想定下なら私はドナー・ベビーを生まないと思った。
班内で意見は半分に分かれた。その母親にドナー・ベビーを成年まで育てられるなら良いという意見もあれば、実際に自分が母親なら長子のために生むだろうという意見もあった。
子どもを生む理由というのは人それぞれで、中にはとても酷い理由で子どもを生む人もいると聞いたことがある。それに比べればドナー・ベビーとして子どもを生むことは正当な理由であるのではないかと思う。