6月21日    (3A33:saori)

正直なところ昨日まではというか実験直前まで、解剖実験についてあまり深く考えてませんでした。

私たちの生活は食べ物にしても、薬などにしても、他の動物の命の犠牲の上に成り立っている。そんなことは頭では分かってるのに、まだ温かいマウスを目の前にしたらどうしても割り切れなくって、ハサミを立てられませんでした。私はハムスターを飼っているので、最初からヤバイなぁとは感じていたけれどここまでキツイとは思ってませんでした。昨日一応覚悟はしてきたつもりだったのに、そんな覚悟なんかクタッとなってしまったマウスを見たら一瞬で消えてしまいました。
単に自分で育ててきたマウスだから悲しいというのとはちょっと違った気がします。可愛かったけど最初からペットとは違う目で見てきたつもりだったし。マウスの体温がだんだん消えていくことに、命が消えていくことを実感させられて。小さいマウスの命は、儚くて、すごく重くて。老衰して死んでいくのとは違う、病気で死んでしまうのとも違う、人間の手によって人間の為に殺されるという明らかに自然ではない死を認めたくなかった。命を奪ってしまったということそのものが悲しかった。普段自分が他の命を犠牲にして生きていることを棚に上げて、泣く私の涙は本物なのかなとか考えて、頭の中がぐるぐるしてました。

自分で解剖できなかったので、中がどうなってるのか見たいという好奇心は理解できなかったし(解剖してても理解できなかったかもしれません)マウスを解剖するモノとして見ることもできませんでした。でもマウスを殺して、胎児も見て、命の重さだけはすごく感じました。この気持ちを忘れないで、ゆっくりでもいいから今日の事を自分の中で消化できたらいいなと思います。