マウスの解剖-ヒトと動物のかかわり 3B11 ぎんがめたりか

今週はマウスの解剖だった。
 小学校の時から解剖は特にしたことがなかったのでどんなものかととても緊張した。世話をしてきたマウスを殺すのは気の進まないことだったが、「いろいろ勉強させてもらおう。」と思って解剖させてもらった。一旦お腹を開いてしまうと、いろいろな興味がわいてあまり違和感なく解剖できたのが驚きだった。初めて動物の臓器を総覧したし解剖は非常に有意義だった。ただそれが数十の命のおかげでできたということを忘れてはいけないと思う。
 マウスを殺すのは嫌だが、魚をさばくことに対して私たちは特に抵抗がない。これは慣れの問題かもしれない。実際、魚をあまり食べず日ごろ魚の全形をみないアメリカの人は魚をかたちのまま食すことに強い抵抗があるという。彼らが日常目にするのは切り身などで、魚に対する認識は「生物」より「食物」に偏っている。私たちにとってマウスは「ペット」であり、「解剖の対象」ではない。そういう違和感から抵抗を感じるというわけだ。確かにそういうとらえ方もできると思うが、ではマウスを殺すのに慣れればいいのかというと決してそうではない。この問題からも、ヒトと動物はどう関わるべきかという課題の解決がいかに難しいかがわかる。
 現在の私たちの生活は実験の対象となった数え切れない動物たちの犠牲の上に成り立っている。そして現在もマウス・ラットなどは医学研究に欠かせない存在である。私は、そのことをもっと多くの人が知る必要があると思う。人間の生活は他の動物の犠牲なしには成り立たないことをわかる必要があると思うのである。それは人間の食生活を考えてもわかることだし、今回のような機会からも痛切に感じられることだ。ただ「かわいそう」という印象で終わらせてしまうのは現実から目をそむける行為だと思う。そして動物などの自然に対する認識のずれから環境破壊などの問題が生じている。今はそうでないにしても、本来自然は人間を必要としているのだから、私たちは人類を取り巻く自然に目を向けなければならない。ヒトと動物の命のかかわりを通して見えてくる生きる上で大切なことがそこには必ずある。