ラットの解剖 3B29

コメント欄に入りきらなかったので、記事で書きます…

小さい頃ハムスターを飼っていてどんどん増えていき、1番多い時では20匹を超えていたのですが、
そのハムスターが死んだとき庭に埋めるのはいつも私の役目でした。
家族のみんなが死んだハムスターを触るのを恐がって、全部自分に押しつけるので「3日前までの生きているハムスターは手に乗せてかわいがっていたくせに、同じハムスターが死んだら触れなくなるなんておかしい!」と不思議に思っていたのをよく覚えています。

今回はそのハムスターの3倍の大きさのラットの解剖だったので、どうなるか全く予想がつきませんでした。
動物は基本大好きなので、私の濡れている手で水の舐めているラットを見て、とてもかわいいといつも思っていたのですが、それと解剖するのに抵抗があるということはまた違っていました。

ハサミを入れてお腹をあけてみるとまず血が出なかったことに驚きました。
イメージでは人間の切り傷のようにハサミをいれたらすぐ血が出てくると思っていたので、内臓が出てきたときは少し焦りました。
もちろん血管を切ってしまった時には血まみれになったのですが、ハサミで小さくきった脱脂綿や紙などで随時血吸いながら解剖を進めていくと、とても奇麗に内臓がとれ出し、よく歴史の教科書で縄文時代に出てくるような、ラットの毛皮みたいになりました。
戻すときもスムーズにいき、お腹もしまって、よかったです。

ラットやマウスを殺して解剖することにかわいそうだと一瞬でも思った人がいたと思うけど、私は、解剖をするだけして内臓とかをひっかきまわして放置する方がかわいそうだと思いました。

すぐに時間がきて、納得がいくまでとはいきませんでしたが、
とてもいい経験ができて勉強になりました。

最後、ラットの背中や前足などに血がところどころついていたので、埋める前に内臓が出ないようにラットを持ち上げながら拭いてあげようとしましたがなかなかとれず、水を数滴流したりして洗い流そうとしても無理…結局そのままキッチンペーパーに包みました。

ラットの目を取り出す解剖まではいってなかったので、目を閉じれないかなあ…と思っていましたが、それも無理でした。
ドラマや本などで、人間が死んだときは出来てるのに!!

結局私がこの解剖で学んだことは尊い命についてというわけではなく、やっぱり生と死の境界線でラットのイメージはあまり変わらなかったということでした。
死んだからこう、生きているからこう、というような考え方ではなくて…ラットはこう。という考え方でした。
これは幼い頃の自分の考えにつながると思います。

みんなと比べ、解剖後に得たものの違いで、
…なんか解剖に対する気持ちが甘かったんかな?と
今になって若干反省しているのですが…