第5回 5月19日 講義と討論 3B41
今回は大阪教育大学附属高校池田校舎の堀先生より、『生殖補助医療における社会的合意形成にむけて ー科学の進展の中で考えなければならないことー』というタイトルのもとで講義をして頂きました。
「生殖補助医療」とは・・・
1 先端科学の進展の中で私たちが考えなければならないこと
昔であれば絶対に出来なかったこと、考えられなかったことが、現代の科学技術で可能になってきています。例えば代理出産。代理出産は国内では原則認められていませんが、ドラマの題材になるなど人々の関心も高まりつつあると思われます。‐不可能であったことが可能になる‐私たちはそれを「進歩している」と感じるのではないでしょうか。どんなに子どもが欲しくても、自分の身体では産むことが出来ない。そんな人たちも自分の子を授かることが可能になるのだから良いではないか、と。しかし、ここで一度立ち止まって考えなければなりません。科学が進んだからといって、それをすぐに実用出来るわけではありません。法律は存在していなかった事柄に対して何か定めることは出来ません。ルールが皆無の状態で、新たに生まれ来る科学を認めるのか、認めないのか。あるいはどのラインまで認めるのか。技術と社会的合意との兼ね合いが大切になってきます。
2 生殖補助医療の進展で問題になっていること
資料1:子宮外妊娠のため流産し、子宮を摘出した女性が子どもを諦め切れず、自分の子どもがいる義理の
姉に協力を依頼し、代理出産が実現した。無事子どもを授かり、家族関係も妊娠中出産後ともに良好
する」との素案を議論、委員から賛否両論出る一方で、女性は「産んでくれる人を危険にさらすとの指
摘には何も言えないが、リスクを十分理解した上で協力してくれる親族がいる場合、最後の手段とし
て認めてもいいのでは」と話した。
→成功した当事者からの言葉なので好意的に書かれてある。
家族関係が複雑になるなどの懸念がある。
れた子について、この夫婦の実子としての出産届を受理すべきではないとして、死後懐胎や代理懐胎
について否定的な判断をした。日本には、これらを含めて人工生殖に関する法律がない。また、体外
受精、人工授精の成功率は低く、その上リスクが高い。死後懐胎、代理懐胎ともに認める国とそうでな
い国があり、立法のあり方は様々である。
→医学的にも遺伝子的にも自分の子であるにも関わらず、日本の法律では産んだ人が母親になる。
遺伝子操作が可能になる。
生命や子の尊厳について、他者の身体を利用することの是非、など。
人の健康な子を既に出産している21歳意~30歳のインド人女性。
→夫婦と代理母の意思疎通が困難である。
3 考えてみよう
以上のことを踏まえ、生殖補助医療に関わる社会的枠組みを作るときに原則としてすべきことは何なのか、ということについて話し合いをしました。
三つのグループに分かれて討論した際、各グループで出た意見は以下の通りです。
め、本当に納得出来ているのか疑問が残る。もし成功したとしても、産まれた子が実子として認められなけ
れば、現在の体制下では子の社会的立場が微妙なものになる。子のことをまず第一に考えなければなら
ないのではないか。
でも良いのではないか。日本の考え方は少し古典的である。しかしながら、代理出産がビジネス化してしまう
のはどうなのか、また、親族に頼む場合でも家族の複雑化はどうするのかなどの疑問が残る。
③代理出産はなくした方がよい。産んだ人と遺伝子的に親である人のどちらが「親」であるかと考えると、産ん
だ人ではないかと思う。子どもが欲しい人は、養子をもらう考えはないのだろうか。しかし養子の件については
子を捨てることを助長しているようで疑問が残る。インド人女性の代理出産については、彼女たちは仕事でや
っているので人格は守られていると思う。
~感想~
国内での代理出産の存在は以前から知っていたものの、リスクを冒してまでも子どもが欲しいのならば、条件が揃えばやっても良いのではないかと思っていました。しかし、国内では法律がないこと、遺伝子操作など、科学が進むことにより人間として禁忌とも思えることが可能になってしまうことを知り、その危うさに恐怖を感じました。話し合いでも言っていたのですが、本当に線引きが難しい問題だと思います。しかし、科学がどんどん発展していく以上、出来るだけ早く判断を下さねばならないのではとも思います。その入り口として、やはりあらゆる角度からの正しい知識を持つことの大切さを改めて実感しました。