第6回 6月9日 討論

今回の授業内容は、生命操作に関する資料を読み、その内容について班で討論するというものでした。
まずは各班「着床前遺伝子診断と胚選別」について討論し、全員で意見交換した後、班別に好きなテーマを選び討論し、出た意見を発表しました。
 
 
「着床前遺伝子診断と胚選別」
<想定>
遺伝性の重い神経難病に苦しんでいるX氏とその妻は、体外受精で作製した複数の胚から、着床前遺伝子診断により発症可能性のないものを選んで妻の子宮に着床させ、健康な子を得ようと考えた。
 
<討論> 
1班
今回の想定は代理母のように第三者の協力を必要とせず、リスクも低いように思える。
自分の子どもが元気で健康に生まれてきてほしいと願うのは自然なこと。別に良いのではないか。
 
問題点
・胚を選ぶことは優生思想に繋がり、障害は排除すべきものという考えになる。
・受精卵を命と考えるのならば、それを廃棄してしまうのはどうなのか。
→どこからを「命」と考えるのか。
動き出すとき、意識が生まれたとき?
 
遺伝性の病というものが、神経病であるのか発達障害であるのかによって考え方が変わるような気がする。
 
AからDの意見を読んで
→班としての考え方は変わらない。
  Bの「福祉サービスのコストを少しでも減らすために」というのが極端である。
 
全体を通して、子どもを思う親の気持ちはもっともであるが、自然に逆らってまでこのようなことをすべきなのか、という疑問が生まれた。
 
2班
 
 
3班
 
 
 
班別テーマ討論
 
1班  「ドナーベビー」
<想定>
重い血液疾患で余命数年と診断された子どものために、もう一人子どもを作り臍帯血も造血幹細胞を移植しようと考える。その際に体外受精で複数の胚を作製し、遺伝子診断でより適合性の高いものを選んで妊娠、出産する計画。
 
<想定を読んだ時点での問題点>
・子どものためにもう一人子どもを作るという考え方
・適合性の高いものを選ぶこと
 
 <討論>
いいものを選ぶ=一人目に合うものを選ぶこと
→胚を選ばないならまだしも選ぶのはやはり命として見てないのか。
  適合性が高いということは逆に同じ病気にかかるリスクはないのか。
 
 一人目を救えると同時に二人目も生まれたら嬉しいのでは
⇔二人目は産みたくて産んだのではないかもしれない
   →一人目のことだけを考えている?
   →命を授かる謙虚さの欠如
 
どっちみち、ドナーベビーが生まれ、そのことを知ったときにどう思うか。
そのことを伝えるかどうかも親次第。
 
この場合ドナーベビーは何の支障もなく生きることができる
⇔内臓移植となれば生きれないのでは?それこそ道具扱い。しかしそれを扱う法律もない。
 
この事例に関わらず、法的規則がないこのような事例は、金儲けを目的としている場合もないわけではなく、安全性の欠落にもつながる可能性もある。だからこそ、規則の整備を行い、ある程度の線引きをする必要はあると考えた。
 
 
2班  「」
 
 
 
3班  「」