6月16日講義  3C24

投稿遅くなりすみません。

今回は安楽死尊厳死についての講義でした。
  

安楽死尊厳死についての定義
K,エンギッシュ(ドイツの刑法学者)による安楽死の定義
①瀕死の患者に苦痛緩和処置を行って生命短縮のない純粋な安楽死
②苦痛緩和処置によって副次的に生命短縮がもたらされる場合
③生命延長処置を差し控える消極的な安楽死
④自殺幇助および積極的な致死手段によって生命短縮を直接短縮する積極的な安楽死
⑤「生きるに値しない生命」の抹殺
(②間接的安楽死、③消極的安楽死、④積極的安楽死という三分類が使用されている)
 
①は問題にされない
②はホスピスの末期がん患者さんなどになされる安楽死
③④が意見の分かれる安楽死の問題
⑤は安楽死の歴史的な背景による


尊厳死安楽死についての価値観
自己決定・自律が重要という主張
自然の摂理を受け入れる。 自然な死⇔人工的延命
ⅲ 行き過ぎた科学技術・人間を無視する医療と違うか
無用⇔有用 末期の人間 役に立つ人間
 
ⅰについて
自己決定、自立が重要という主張はなかなか反論しにくい。
自分の人生は自分で決める。親に反対されてでも自分の意思を貫く。自己決定は当たり前のこと。
けれど死ぬということも自己決定なのか?
自分の意見というのはは周りの人から影響される。家族の思いなどにももちろん影響される。
自己決定がよいというような考えになったのは人として、個人として尊厳されるようになり自分という存在が大前提になったから。尊厳死について今決断したとしても植物状態になったときはたしてそれが自分の意思なのか分からない。未来のことを今、意思決定できるのか。
意識がない状態で自己決定と言えるのか。安らかに寝ているだけなのに…
自己決定がいいということになれば自殺は自己決定でしていいの?
 
脳死植物状態の違い>
脳死…大脳および脳幹の全機能が完全に停止している状態。
植物状態・・・脳の機能障害によって、呼吸・循環・消化機能は正常に近いが、意思の疎通や自力での移動・食事        ・排泄ができず、目で物を追っても認識せず、声は出すが意味のある発語ができないなどの状態。
 
ⅱについて
自然とはなんなのか。自然な状態って?
人工的なものがだめならコンタクトはいいの?
自然が本当にいいの?
 
【自然の辞書的意味】
1 山や川、草、木など、人間と人間の手の加わったものを除いた、この世のあらゆるもの。
2 人間を含めての天地間の万物。宇宙。
3 人間の手の加わらない、そのもの本来のありのままの状態。天然。
4 そのものに本来備わっている性質。天性。本性。
5 哲学で、
①他の力に依存せず、自らの内に生成・変化・消滅の原理を育するもの。
②精神とは区別された物質的世界。もしくは自由を原理とする本体の世界に対し、因果的必然的法則の下にある現象的世界。経験の対象となる一切の現象。
【人工の辞書的意味】
自然の事物や現象に人間が手を加えること。また、人間の手で自然と同じようなものを作り出したり、
自然と同じような現象を起こさせたりすること。
 
ⅲについて
人間を無視する医療というのが本当にあるのか。
そんな医療はほとんどないと思う。
行き過ぎた科学技術とは行き過ぎているのか?
確かに行き過ぎた科学技術により問題点がいろいろとでてきた。
けれどもそれを解決するのも科学技術なのでは?科学技術は科学者も言うとおり使い方に問題があるのでは?
 
ⅳについて
意識がなければ生きている意味がないのか。
意識がなければもう自分のことも認識できない。
でもそれは本当なのか。実は発信しないだけで内には意識があるのかもしれない。
それは今の技術では分からない。
みんな今、少しでも社会に貢献している状態から何もできなくなる、
人に迷惑をかけてしまう状態になるのが嫌だと思う。 
人に迷惑をかけずに生きるというのはかっこいい
でも人間は完璧な生き物でないのだから持ちつ持たれずの関係で生きていくのが妥当である。
みんなで支えあって生きる社会がよい。
保険も同じような考え方で成り立っている。
将来最悪の事態まで考えてお金を貯めておくのは大変なことなので
みんなが少しずつお金をだしあって必要な人の治療費を賄う。
でも出したお金が自分に戻らないので嫌だと思う人がでてくる。
みんながそのような考えになってしまうと保険の制度自体が壊れてしまう。
延命治療は無駄なのか。
無駄な治療とはなんなのか。現状維持は治療にならないのか。
コストの面から考えれば社会の負担になるが本当に無駄な治療かは分からない。

以上より尊厳死に対する主張もいろいろな見方がある。


講師の先生は個人として尊厳死の考えは分かるけれども法律化することには反対されています。
法律というのは社会を調節する役割とこのようにあるべきだというあり方を示しています。
法律化してしまうと尊厳死が正しいあり方であるというようになってしまいます。
延命治療をすることが悲惨な生というようになり、「悲惨な生」事態も否定してしまうことになります。
遺伝性水俣病の子供・障害者の人など…
また優生思想が広がってしまう原因にもなります。


安楽死尊厳死をめぐる経緯・歴史
(優生思想は18C終わりから19Cにかけて広まった)
1907年 英国で最初に安楽死について提唱された。
1920年 ドイツの刑法学者K.ビンディング A, ホッへ
    「生きるに値しない生命の殺害の解禁」
    本人の意思に基づく末期患者に対する安楽死と共に、治療不可能な知的障害者を社会の負担として殺害    することを適法とすることを提唱
    ナチスドイツ下、心身障害者・難病者・高齢者・アルコール依存症寛恕を組織的な殺害(公式7万人、20数    万人)慈悲による死(安楽死と主張)
1935年 世界最初の英国安楽死協会設立
1948年 世界医師会総会「ジュネーブ宣言」を発表
1975年 米国:カレン・クィンラン事件発生
1976年 日本安楽死協会設立


*死について
【死の辞書的意味】
 生命がなくなること。死ぬこと。また、生命が存在しないこと。

生物学的に死の状態は心臓が止まる、自発呼吸しない、瞳孔が開く状態。
でも本当にいつからが死の状態かは分からない。



*感想
尊厳死についてこのようにいろいろな見方ができるとは思ってもみませんでした。
私も法律化するのはよくないと思いますが自分がそのような立場になることを考えると尊厳死させてもらいたいような気持ちもあります。実際に植物状態になってからどう思うのかは分かりませんが…
でも今の医療では意識がないと思われていても発信できないだけで内部では意識があるのかもしれないと考えると複雑です。赤十字の病院で働く看護師には心の意思疎通があるというように感じている人もいるので今の医療で何でも決めつけてしまうことはできません。
尊厳死したいと願っている人が尊厳死できるようにすることはいいと思いますが、実際に延命器具を外す人の気持ちになるとなかなか難しいです。
また尊厳死の考えが優生思想と絡んでいることに驚きました。
安楽死という考え方が生まれた経緯を知ると少し恐ろしく感じました。
生命倫理は自分の気持ちを抑えながら考えなければいけないので難しいと思いました。