生命論第7回 ⅢD18

堀先生に「生をめぐる先端科学の進展と倫理問題」と題して、前回の生殖補助医療に引き続き、出生前診断とエンハンスメントについて話していただきました。
その後、倫理的課題として、自己決定と自然への介入について討論をしました。
 
 
 出生前診断とは子供が胎児の時点で、胎児の血液や羊水、また柔毛を検査して胎児に異常があるかないかを調べる確定診断法と、母体の血清を調べる確率的診断法などがあります。
確率的診断法よりも、確定診断法のほうが正確性は高いのですが、伴うリスクが高く、ときには流産につながる可能性があります。
 
 90年代後半では、イギリスで90%以上の人々が血清マーカーを使っていた反面、日本では80年代から異常を人為的に見つけることに否定的だったので、血清マーカーが広がることはありませんでした。
 
 しかし、最近になり、新出生前診断(母体血染色体検査)というものが普及してきました。この診断はリスクが出生前診断に比べて、リスクが低いので、政府の考え方が昔とは変わってきたようです。しかしながら遺伝カウンセリングはすべきだ、というのが政府の主張です。
 
 
優生思想
 出生前診断が問題とされるひとつの理由に、この優生思想というものがあります。この思想はイギリスやアメリカでは17.18世紀に、日本では明治維新以降に広まりました。また日本の戦前では優生思想法により、重度の障害者の生殖機能をなくす、断種が行われていました。
 
 世界ではヒトラーがこの思想を持っていたことで有名です。ヒトラーゲルマン民族は優秀だと考え、ほかの民族を差別しました。彼が行った政策は障害者、ロマ・ジプシー(中せヨーロッパの芸をしたり、サーカスや歌を歌う人)、ユダヤ人の順番に殺していくというものでした。
 
 日本では60年代から、集団の利益のために個人の人権を奪うのはおかしいのではないか、という考えが広まり、優生思想は少し否定されはじめました。しかし、69年~72年に兵庫県の衛生部では「不幸な子供が産まれないようにしよう」という優生思想に基づいたキャンペーンが開かれました。このキャンペーンに異議を申し立てたのが、当時の障害者集団グループの「青い芝」でした。彼らは自分たちか不幸ではないと主張したのです。確かにこの主張は意にかなっています。
 
 
 昔の時代に否定されたのは「公」での優生学でした。今では、医療サービスにおける消費者のニーズを最優先にする徹底的な個人主義を前提とした「優生学」、つまり「私」の優生学がうまれています。例として、美容整形などがあります。
 
 この場合はだれかが否定をできるような問題ではないので、レッセフェル優生学、つまり自由放任主義優生学と呼ばれています。
 
 
エンハンスメント
 健康の回復や維持という目的を超えて、能力や性質の「改善」のために、科学的(医療技術)に介入することをエンハンスメントといいます。育毛剤や美容整形、プロザック向精神薬)や、成長ホルモンの投与、歯科形成、中年男性のハイアグラなどが例にあげられます。これらは治療だけではなく、プラスにでも使えるのではないか、という考えから使われています。つまり、積極的にいいものにすることがエンハンスメント、ということです。
 
 体外受精の時に胎盤に返す卵を4つから1つ選ぶときにどのように選ぶべきか、という問題があります。これに関して、ある件では、聾唖の夫婦が体外受精をして返す卵を選ぶ際に聾唖の卵を選ぶということがありました。つまり価値観のちがいによってエンハラスメントは変わってくるのです。さてこの問題についてどうかんがえるべきなのでしょうか。
 
 
討論:倫理的課題として
1.自己決定
 医療においてインフォームド・コンセントや尊厳死、妊娠中絶、臓器移植法など様々な点において自己決定に迫られることがあります。これらはどこまで自己決定をするべきなのでしょうか。
 
 論点として
  ・産まれてくる子どもの権利
  ・中絶は女性の権利
  ・遺伝カウンセリング
         などがでてきました。
 
 
2.自然への介入
 デザイナーベビーのように自然へ介入をし、人為的に希望の子供を産むような方法が確立されつつあります。人間がこのようなことに介入すべきなのでしょうか。