長島愛生園を訪問して (1.2年生の感想 ③)

・もともとハンセン病という名前は聞いたことがあったのですが、詳しくは知りませんでした。先日、長島愛生園の学芸員の方が講演をしてくださった後から、頂いた資料を読んだり、インターネットで調べたりと、さらにハンセン病について学びたいと思っていました。そこで今回、長島愛生園を訪問する研修に参加しました。
 長島愛生園を訪れてみて、私が一番印象に残っているのは、当時のままの収容所の中に入ったことです。この収容所はハンセン病患者が島に来て最初に連れてこられる所でした。ここで、入居者の所持品がすべて回収され、入居者自身も消毒風呂に入れされられました。その後、体の検診や病歴、入居手続きをして1週間過ごしたそうです。入居者を消毒風呂に入れるなど、とてもひどいと思いました。実際に中に入ってみると、小さな浴槽があって、ここで消毒風呂に入ったかと思うと何とも言えない気持ちになりました。
 今もこの長島愛生園で暮らしている方のお話も聞きました。ハンセン病と診断されるまでの経緯や周りから差別を受けたことや、初めて帰省したことなど、たくさんお話ししてくださいました。お話を聞いて、経験した人しかわからない当時の様子などを知ることができました。 
 今まで、何の知識もなかったけれど、学芸員の方の講演と今回の現地研修を通して、ハンセン病についてさらに深く学ぶことができました。実際に現地に訪れて新たに学んだこともたくさんありました。今もなお、ハンセン病に対する差別や偏見があると思います。私は、この経験を家族や友達などたくさんの人に話して、ハンセン病に対する理解を深めていければいいと思いました。

歴史館で印象に残ったものは、やけど防止のために二重になった湯飲みです。何も知らずに見るとただ良いデザインの湯飲みにしか見えませんが、そこには身体を守るための工夫があるということに驚きました。
 学芸員の方のお話の中で印象に残ったことは、入所者の方はかわいそうな人ではなく、強く生きてきた人だということです。その事を聞いてそもそもかわいそうと思うと言うことは相手が自分よりも良い立場にあると思っているからなのではないかと思い、これは昔とは違う方向に差別していることになっているのではないかと思いました。このような意識まで変えていかなければ本当にハンセン病の人権問題は解決できないような気がしました。
 語り部の方のお話では、すべての家族がハンセン病にかかってしまった人を絶縁しようとしたわけではないことを知りました。ずっと、これまで家族だった人を病気にかかってしまうだけで家族をやめてしまうなんて昔の人は何て悲しいのだろうと思っていたのでそうではなかった人もいたと知って少し安心しました。
 今回の現地研修では、実際に見て聞かなければわからないことをたくさん知ることができました。ハンセン病は最近ではあまり、聞くことがなくなってきましたが忘れてはいけないことです。そして、ハンセン病の他にも忘れてはいけないことはたくさんあると思います。これからはもっと興味を持って、過去にあったことを知るようにしたいです。

事前研修で驚いて、今回の研修でより深く考えさせられたのが発病した人たちに対する偏見と差別でした。当時はハンセン病は伝染力があって見た目も変わってしまう恐ろしい病気だという偏見があったと学芸員さんや語り部さんが何度もおっしゃっていました。それで収容所などたくさんの方々が精神的にも影響を受けました。しかし、ハンセン病は発病したらなおりにくいけど、感染力が強いわけではありませんでした。私は当時の人が偏見があまり無ければ発病した人は今どんな生活を送っていたのだろうと思います。そしてその状況下で賢明に生きられたこと、「自由に羽ばたいてみたい」という気持ちに感動しました。この研修で偏見や差別による過去があったことを知ることができました。いい経験になりました。

私は、今回このハンセン病研修に参加するまで「ハンセン病」という名前はどこかで聞いたことがあるけれど、それがどのような症状の病気なのかということも知らず、つい最近まで国をあげての隔離政策が行われていたことすら知りませんでした。そのため、私はインターネットを使ったり、祖母に話を聞いたりしてハンセン病について調べてから長島愛生園を訪れました。しかし、実際に長島愛生園を訪れてみて、私のハンセン病に対する考えが大きく変わり、またもっと多くの人がハンセン病について知るべきだと思いました。
歴史館を見学したり、語り部の方の話を聞いたりする中で私に大きな衝撃を与えたことは2つあります。
1つ目は、当時の園内の生活です。まず患者さんが1300人を超えているのに対し、治療にあたる看護師が30人程度しかいなかったことに驚きました。単純計算をして、看護師1人でおよそ43人の患者さんを診ていたことになります。こうした人員不足により、本来、安静にして治療をうけられるはずの患者さんたちが自分たちで食料を栽培したり、症状の軽い人が重い人の介助をしたりしていたのが事実であり、またこのような作業によって症状が悪化する人が少なくなかったことを知り、当時の園内の生活の過酷さを知りました。私は、病気になったらいたわってもらえるのが当然だと思っていたので、そのようなことは想像もできませんでした。当時の国の政策として、ハンセン病にかかった人を療養所で治療をし、社会復帰してもらうというよりも、隔離をすることで感染を防ぐという「隔離」に重きを置いていたことが分かり、昔の政府のハンセン病患者に対する措置は、多くの人に知ってもらい、改めて考えなおされるべきだと思いました。
2つ目は、現在の日本社会のハンセン病に対する理解の浅さに衝撃をうけました。私も今回、長島愛生園に行くまでハンセン病について何も知らなかったのですが、それは私たちの年代からすれば、ハンセン病が流行った時期はかなり昔のことだから知らなかったのだと思っていました。しかし、実際はそうではなく、最近までホテルの宿泊や路線バスの乗車を拒否されるなどの差別があり、社会全体としてハンセン病に対する理解が浅いことを知りました。また、長島愛生園を訪れた後、私の母や祖母に現地で学んだことを説明してみると、ほとんどのことに初めて知ったと言っていたので、ハンセン病についてはあまり知られていないことを実感しました。
今回、長島愛生園を訪れてこれらのこと以外にもたくさんのことを学びました。その中には、ハンセン病についてのことだけでなく、そのこと以外にも今後、私が生きていく中で大切となることも多くあるように思います。また、私はこれから、ほんの少しであっても日本にいまだ残るハンセン病に対する偏見をなくすために、今回学んだことをたくさんの人に話していきたいと思います。そして、日本の多くの人が、ハンセン病についてよく知り、偏見のない時代が早く来てほしいと思います。