国立ハンセン病資料館見学 感想 D1

・「今も療養所で生活している人たちは全国で1500人ほどいて、その人たちの平均年齢は85歳ほどである。」ということを知ったが、今もそれだけの人が生活しているのかと驚くと同時に、もう10年もすればほとんどの元患者の人がなくなってしまうのだろうと考えると、遠い歴史的な事実になる前にもっと多くの人に知らせるという活動が大切なのだなと思った。
・「患者作業のために、日本人のハンセン病患者の後遺症は世界から見ても重いといわれている。」ということを学芸員の方が仰っていたが、このような事実からも日本が患者に行ってきた仕打ちは世界から見ても本当にひどかったのだなと思い知らされた。
・「長島愛生園で橋がかけられることに対して、地元の漁業への風評被害などが予想されたこともあり、なかなか実現しなかった。」と聞いたが、この「風評被害」という言葉は、福島の原発事故の話でもよく聞いたので、ハンセン病以外でも同じように偏見などに苦しんでいる人たちもたくさんいるんだろうなと思った。

 僕は、今回の国立ハンセン病資料館の見学で、今まで本や講演などで学習してきたことがすごく身近に感じた。資料館では患者の生活の様子を再現した大きな模型があったり、実際に使われていた道具などを間近に見ることができ、いろいろ印象的だった。また、見たビデオでは、そこの中でなされていたハンセン病に関する解説はほとんど自分たちが知っているものであったが、資料館の方たちなどが、ハンセン病の問題について世間に知らせようと頑張って活動しているということを感じることができ、もっと多くの人がハンセン病について正しく知るようになればいいのになと思った。
そして、僕がここにきて最も衝撃を受けたのは、自分の母親の出身地であり、僕も毎年のように帰省している鹿児島県の鹿屋市にもハンセン病の療養所があったということだ。家に帰って詳しく調べてみると、その療養所は祖父母の家から車で20分ほどのところにあり、その近くは何度も行ったことがあったのだ。しかし、祖父母からハンセン病という言葉を聞いたこともなく、僕も母親も、僕が生命論をとるまでハンセン病について全く知らなかったという事実にとても衝撃を受けた。僕は全国的にはハンセン病というのはあまり知られていないにしても、療養所の近くに住んでいる人などはさすがに知っているのかなと勝手に考えていた。もしかしたら僕の祖父母は知っていて話さないだけなのかもしれないが、自分や母親は身近に療養所があったのに全く知らなかったのかと思うと、やはりハンセン病というのは社会から無視されていたのだなと思い知らされた。そこには見学できるような史跡などもあるようなので、さすがに近くにやってきた人には認知してもらえるくらいはもう少し積極的に広報活動をして、認知度を上げていく必要があるのではないのかと思った。
このように、僕は今回の研修で、実際にあった差別などのひどさや、そのことがあまり知られていないということを知ることができた。なので、このようなことを知った僕たちには、このことを知らない人にも伝える責任があるのではないかなと感じた。そして、しばらく後の長島愛生園の見学も楽しみだ。