国立ハンセン病資料館レポート  A30

国立ハンセン病資料館で学んだこと

ハンセン病の歴史
まさか1400年前から日本に存在していたとは思わなかった。それと同時に、そんなに前から、差別があったという事実を知った。病気に対する偏見意識が存在する問題は、想像以上に根深いものだった。

・私立療養所の存在
国が造った療養所より前に、各宗教団体(主にキリスト教)が自費で療養所を造っていた。患者を助けたい、という気持ちから造られたが、国立療養所が出来てからは存在していたのだろうか?

・国立療養所の存在
段階を踏んで患者が集められていったのを知った。もともとは身よりのないひとのみだったのが、法律によって、ほとんどすべての患者が療養所へ強制的に連れていかれた。外国人に患者を見られるのが恥ずかしい、という政府側の思惑があったという。1964年に東京オリンピックが開かれた時でも、患者が隔離されていることに国民誰も何の疑問も浮かばなかったのか。法の下に平等がうたわれている時代で、差別は自然に行われていたのだと思うと、悲しい。

・療養所の仕組み
患者が逃げ出さないためのしくみが、写真や実物で多く残されていた。岡山の療養所では、高さ2mの柊の壁、幅22mの海が、患者を故郷と切り離していた。

・強制隔離
無瀨県運動が行われてから現在まで、まだ100年もたっていないと知った。それまで、どこか遠いとこでやっていたものが、一気に身近に感じられた。
歴史の授業で、ナチスドイツのユダヤ人差別を学んで、僕らは、ひどいと思ったり、怖いと思ったりする。しかし、日本では戦争が終わっても、ハンセン病というだけで、多くの人が、人でないといわれて、収容されていったと思うと、ぞっとする。
感想

今回、この研修に参加し、ハンセン病について少しでも知ることが出来たのを、とても誇りに思う。学芸員さんが、最後の最後まで、話し続けてくれて、それでもまだ話し足りなさそうだったのが、とても印象的だった。ハンセン病の歴史や、患者の思いを全て伝えるには、時間も、人手も、まだまだ圧倒的に足り無い。しかし、患者の残りの命はそう長くない。環境論でも同じことが言えるが、もっと、多くの人に知ってもらうべきだ。僕自身が知ったからこそ、そう思う。なにもできない、なんてことはないはずだ。今からなら、より多くの人脈を作れるし、発信力を強めることだってできる。今回の研修を、ただの東京旅行にしないためには、今この瞬間からが、大事なのだ。