「運のいい」人生  H.T


 「ヒロシマノート」は、著者は被爆から十数年後広島を訪れ、当時の被爆者の生き様やその治療に尽力した医師たちの姿を描いたものである。広島被爆10周年のある日水爆禁止世界大会が開かれ、被爆者の一人が「生きていてよかった」と語ったというが、それを知って私は「本当に良かった」とは思えなかった。こんな話を他人としたことがないのでよくは分からないが、多くの人は被爆して生き残った人を見て「あの人は運よく生き残れてよかった」と思うのだろうか。私にはそんな単純な気持ちを持つことができない。「生きてるだけでまるもうけ」なんて言ったりもするが、この場合そんな明るいことは言っていられないだろうと思う。本当にその人たちは「運が良かったの?」と。「生きていてよかった」と語った人の素直な気持ちを否定するわけではないし、死んでしまったほうがよかったんじゃないか、と言いたいわけでもなくて、ただ「被爆して生き残った後の人生」について考えさせられる。
 原爆に限らず、戦争中には多くの人が命を落とし、多くの人が大切な人を失った。私には想像できないほどの苦しみや悲しみ、飢えがあったのだと思うけど、そのなかでも人々は互いに支えあいながら生を送っていたのだと思う。本の中にある一人の女の子のことが書かれていた。ケロイドのある顔を持つ彼女は、このケロイドを持つかどうかで地球上のすべてのひとを二つのグループに分けた。ケロイドをもつ子はケロイドを持たないすべての他の人に対してそれを恥ずかしく感じ、視線に靴冗句を覚える。彼女は結局その恥と屈辱から逃れるために、他人と会わず家に閉じこもるという生き方を選択した。ある青年は四歳のころに被爆し、成長してから白血病を発症した。医師たちによって二年間の健康状態を与えられた彼は、普通に働き普通に恋愛をし、普通と何ら変わらない生活を送っていた。結局二年後に苦しい白血病の症状とともに彼は死んでしまうのだが、その一週間後に彼の婚約者も自ら命を落とした。それから私の読んだもう一冊の本「ぼくは満員電車のなかで原爆を浴びた」の筆者は、11才のころ爆心地からわずか750mで被爆したのにもかかわらず一命をとりとめたなんとも「運のいい」人であった。しかしその道中で見た地獄のような風景も、被爆による急性放射線障害で母親と妹を失ったことも、筆者自身の後遺症による苦しみも、決して忘れられることはない。被爆して「運よく」生き残った人たちもその後の人生で苦しみながら生きている。
 このように被爆して生き残ったあとの人生を知るのはこれが初めてのことであった。私が今まで平和学習として学んできたことの多くは戦時の苦しみや辛さであったり、原爆の恐ろしさであったり、どうしても私には想像することしかできない「当時の状況」であって、そのことが今現在の生活にどう影響しているのかについてはあまり考えてこなかった。実際に戦争を経験した世代の人たちがどんどん亡くなってしまっている今、過去の話を聞いて戦争の悲惨さを想像し「二度と戦争はしてはいけない」と誓うことはもちろん大切だけど、今の私に足りていないのは「今もなお苦しんでいる人たちはどんな状況にあるのか」「その人たちのために何ができるか」考えることだと気づかされた。
また、読書内容そのものとは関係ないが、こういった原爆の話が出てくるときたいていは長崎ではなくて広島のことが取り上げられているように感じる。同じく日本国内で被爆した地であるのに不思議なことだが、今度は長崎の原爆についての本を読んでみたい。