原爆    I.R


 今回、私は課題図書である「ヒロシマ・ノート」と、新潮新書で有馬哲夫著の「原爆 私たちは何も知らなかった」を読んだ。「ヒロシマ・ノート」が著者の広島での体験記を主としているのに対し、「原爆 私たちは何も知らなかった」では、日本を取り巻く諸外国の思惑等を公文書をもとに暴いていくという内容で、多角的な視点から“原爆”を見つめ直すことができた。これから、課題図書である「ヒロシマ・ノート」を主軸におきつつ、原爆について述べていきたい。
 キーワードとして、私が印象に残った3つの言葉を取り上げてみたい。
 1つ目は、プロローグでの「沈黙の感情」という言葉だ。私たちは、原爆と聞くと広島、長崎を思い浮かべる。そして、自然と原爆の被害者の方に同情し、“特別扱い”してしまう。もっと原爆についての経験を発信した方がいい、そうすれば原爆反対運動も盛んになるだろう、というように。しかし、広島のひとはそのようなことを望んではいない。「自分の生と死を自分のものにする」ために、あえて沈黙という道を選んでいるのだ。一種の病の患者のように、いわゆる“一般者”と区別されることに苦しんでいる。原爆について知ろうという意識を持ち、次世代につなごうとする姿勢は素晴らしいが、その一方で原爆で被害をうけ、今も苦しんでいる人々のことを思いやる心も必要なのだと思う。被害者の方々の中では、8月6日は永遠に止まったままであり、静かに思いにふける「沈黙」の時間が必要なのだ。これを読んだ私は、自分自身にもこの気持ちは不足していたと反省した。一方的な押しつけの「知りたい」という気持ちでは、かえって相手を傷つけてしまうのだと感じた。
 2つ目は、「2.広島再訪」で引用されていた、宮本定男氏の「悲惨な死えの闘いをつづけている人々」という言葉だ。筆者はこれを、死に歯向かう、立ち向かっていく闘いではなく、死に至るまでの、どのように死を迎えるか、という闘いなのだと説明している。この言葉は、私の胸に刺さる言葉だった。原爆の影響など一切受けていない私は、病気になれば薬を飲み、重大なら手術を受け、出来る限り長生きしようとするだろう。それは死をできるだけ遠ざけようとする営みであり、死に歯向かう闘いだといえる。宮本定男氏の言葉を借りるなら、「死に対する闘い」と言えるだろう。一方で、原爆の放射線を浴びた人々は、原爆によって体が侵されていることを、目に見えずとも感じているのだと思う。原爆が落とされたあの日から、自分の体の中で何かが変わっているのを、何となくでも理解しているのではないか。だからこそ、被爆者の一人である宮本定男氏は、残りの半生を「悲惨な死えの闘い」と表現したのだと思う。死に至るまでの、長い、長い闘い。原爆が落とされる前ならば、宮本氏も今の私のように生き延びようとしたかもしれない。しかし、原爆によって“変わって”しまった体では、生き延びることよりも、これから残された僅かな時間をどのように使うか、の方がよっぽど大切なのだ。この言葉に込められた、苦くつらい経験と、それでも負けまいとする広島の人々の強さを感じると共に、原爆を知らない私達が大切にかみしめていくべき言葉だと思った。
3つ目は、「3.モラリストの広島」における、筆者の「それでもなお自殺しない人びと」という言葉である。これは2つ目の言葉にも関係する。原爆という悲劇を経験し、放射線に体をおかされてもなお、前向きに人生を生きようとする広島の人々。壮絶な苦しみや悲しみから、自ら死を選んだ人もいるが、その一方で、すべてを抱えて生きると決めた人もいる。筆舌に尽くし難い悲劇を経験し、幾度とない絶望の淵に立たされても、生きることを決めた人々の強さに、私は心を打たれる。自ら死を選んでもおかしくない状況で、「それでもなお自殺しない」、自殺を選ばなかった人々の心は、なんと広くしなやかで強いのだろう。筆者の言葉にも、そのような思いが込められていると思う。また、「それでもなお自殺しない人びと」の中には、自らの経験を後世に伝えていこうとする人もいる。私達は、このような人がいることに感謝しなければならないと思う。筆者の言葉は、「語り手」という存在の大切さを改めて感じさせる言葉だと思った。
ここで、「原爆 私たちは何も知らなかった」の内容にも少し触れておきたいと思う。私が1番驚いたのは、原爆がアメリカ単独でのプロジェクトではなかったことだ。アメリカには、原爆に使う材料を揃えるほどの資源がなかった。そこで、イギリスなどと協力し、原爆というプロジェクトを進めていったという。また、もうひとつ驚きだった点は、はじめ、原子力エネルギーは原爆などの武器としてではなく、潜水艦などの動力源として、平和利用が計画されていたという点である。平和利用のはずが、どうして武器としての利用へと人々の気持ちは移って行ったのか、不思議に思うととともに、少し寂しい気持ちになった。
この2冊から、原爆に関する事実は、被害者や加害者という壁をこえて世界中の人々が知るべきものだと思った。原爆の威力をその身に経験した人がどんどん少なくなっている今、まずは私たちが語り継いでいくことが大事なのだと思う。そして、1945年8月6日と9日に原子爆弾が広島、長崎に落とされたという事実と、その後何が起きたかを、客観的な目で捉える姿勢が大事だと思う。世界では抑止力として核を保有しているこの時代に、もういちど過去を振り返ることの大切さを、誰もが認識する必要があると思った。