原爆についてのレポート   K.H


1. 課題図書「ヒロシマ・ノート」大江健三郎著を読んで

 私にとって、この本を読むまでの広島についての原爆の知識は、原爆が落とされてたくさんの被害が出たこと、そして幼い頃に広島の平和記念資料館に行っていいようもなく恐怖におそわれたことくらいしかなかった。今では日本人としてそれは失格だと思うが、以前の私のような日本人は多いのではないだろうか。私たちの世代では、祖父母から体験を聞くことが戦争について知ることが多いが、核家族化が進む現在において、祖父母と話す機会も少なくなり、ましてや、広島・長崎の原爆について話すことは少ないだろう。そもそも、戦争自体に、特に原爆について考えることも少なくなっているように感じる。
 私がこの本を読んで印象に残ったところはたくさんあるが、このレポートではそのひとつを書きたい。
 被爆者を囲む会で、両目を失った被爆者の方に、アメリカの通信社の東京支局長が「いま朝鮮に、原爆を二、三発落とせば、戦争は終わると思うが、それについて被爆たきみはどう思うかね?」という発言である。この発言に対する、被爆者の方の回答は書かれていないが、それは答えることができなかったのだと思う。普通、私であれば、答えたくない質問が来てもお茶を濁した回答をするが、それはあくまでも「普通」の話であって、原爆という恐ろしい体験をした方にとって、これは答えることのできない質問であっただろう。問題なのは、なぜそのような質問をアメリカの通信社の東京支局長がしたのかである。質問をしたとて、「もちろん、いいと思います。戦争が終わるのならば。」という発言が得られることなどないと分かっていたはずだ。  被爆者の意見、としてアメリカで新聞に載せるためだったのだろうか。それとも、自分の知的好奇心からのものだったのだろうか。こんなことは考えたくないけれど、もしかして戦勝国の国民として被爆者の方を下に見たかったのかもしれない。アメリカの通信社の東京支局長の真意ははっきりと書かれていないし、本人に聞くしか知る方法はない。聞いた話によると、アメリカには原爆を落としたことは正しかったと思っている人がいるらしい。その意識が根底にあってこのような発言に至ったのであるならば、それはあまりに残酷だと思う。

2. 自由図書「原爆 私たちは何も知らなかった」有馬哲夫著を読んで

 「私たちは、これまで占領中にアメリカ軍によって植え付けられてきた自虐的歴史観のせいで、アメリカ側のプロパガンダを信じ、きわめて根源的な問いを発することをしてきませんでした。この歴史観から脱するためには、これまで歴史的事実と思われてきたことを疑い、問うことがなかった問いを発し、それに対する答えを得る必要があります。」
 これは、この図書のまえがきの最後の部分にある文章だ。まえがきに続いて、
「Ⅰ原爆は誰がなぜ作ったのか」
「Ⅱ原爆は誰がなぜ使用したのか」
「Ⅲ原爆は誰がなぜ拡散したのか」
そしてあとがきという構成になっている。
 課題図書「ヒロシマ・ノート」も原爆が落とされたのちの広島、という観点で私にと
っては発見が多くあったが、この自由図書「原爆 私たちは何も知らなかった」も原
爆投下だけでなく、原爆はなぜ作られたのか、原爆投下後の、特にアメリカ・イギリ
ス・ソ連から見た、国際情勢などは私により多くの発見をもたらした。
 この図書の中で最も印象に残ったのは、やはり、原爆は日本に落とす必要があったのかということに対してだ。
 「日本を追い詰めていたダグラス・マッカーサーは、原爆の使用は必要なかった、これがなくても日本はまもなく降伏していた、といっています。そして、必要がないの
になぜ原爆を使ったのかについては、そうしなければスティムソンが議会に対し巨額の出費に関して説明できなかったからだ、と述べています。
 実際、英米の研究者もこの出費と議会に対する説明責任を原爆使用の理由としてよくあげます。本書でも何度も引用しているヒューレットとアンダーソンやゴーイングそうです。ただし、主たる理由ではなく、副次的なものとして言及されます。私は、
スティムソンや大統領の立場に立つなら、まずこちらが主であって、軍事的、政治的
理由は副次的なものだったのだろうと思います。
 このように、原爆開発のような巨大プロジェクトはいったん立ち上げられると、それ
自体が自己目的化してしまいます。つまり、なんのために作るのか、どのような状況
で使うのかより、完成させること、状況とは関係なく、実戦で使うことが目的になっ
てしまいます。」

(P88 Ⅱ原爆は誰がなぜ使用したのか より)
 原爆投下は正しい決断だったと思っているアメリカ国民は、この事実を本当に知っているのだろうか。知っていてもなお、そう思っているのならば、お金稼いでいない、
ましてやアメリカ国民ではない私が何も言えることはない。しかし、この事実を知ら
ずにそう思っているのなら、それはおかしいだろう。日本国民もアメリカ国民も、さ
らに言えば世界の人々も事実を知らないまま、原爆のことを考えているのだ。
「原爆開発のためにはお金がかかる。そのお金は国民の税金から来ている。税金を大量に浪費した。最終兵器ができていたのに使わずに兵士を死なせた。そうなれば自分は政治家としての職を失う。」そう大統領は考えたのだろう。過去に何を言っても意味がないのは知っているが、それでも私は、一国の大統領として自分個人よりも世界のことを考えて行動して欲しかったと思う。それは現在にも言えることだ。国民の意思を実行することも確かに重要だが、世界のことを考えて行動して欲しい。