原爆   M.R


 まず、「ヒロシマ・ノート」を読み始めて率直に感じたことは難しい本だな、ということです。広島や原爆を題材とした文章は今まで何度も読んだことがありましたがそれらは原爆が落とされた当時の状況や被災した人々の体験談が記されたものばかりだったので、原爆投下から十数年後に広島を訪れた著者が少しずつ広島に深い思いを持ち平和について語っているこの本は当事者が語っているわけではないので
少し距離を感じました。そのような感情を持ちながら読み進めていくと、日本で起こった忌々しい出来事を忘れてはいけないと戦争や原爆投下を重く受け止めしっかり考えている気でいた自分自身に深く突き刺さる文章がありました。それは、この本に出てくる松坂医師の「なぜ、我々被爆者が常に悲惨な存在として扱われねばならないのか」という言葉です。この言葉を読んで自分こそが被爆者たちのことを深くまで知りもせず周りに流されたまま過去の事実と距離をとっているのではないかと思ってしまいました。広島で被災した人々がこの上ない絶望を体験したにもかかわらず自殺しなかったことについて第三章で触れられていますが確かに家族が亡くなり、衣食住もままならなかったその時代に生きようと思えたことは凄いとしか言いようがありません。私なら絶対耐えられないし死んだほうがましだと思うに違いないです。それでも彼らたちが生き続けたのは人々の暖かい心に触れて生きる勇気をもらったからだといいます。
 今まで平和学習をおこなった原爆資料館に行っても暗くて悲惨な部分にしか目が向かなかった私にとって新しすぎる発見でした。過去の事実と距離を置いていると自分自身に感じたと書きましたがこの発見によって身近に考えられるようになったと思いました。昔も今も人々に勇気を与えるのは人々の暖かい心なのだなと知ることが出来たからです。もし再び原爆が投下されてもされなくても最悪の日々を生き延びた広島の人々の知恵や心持ちは現代の私たちにとって大切にしなければならないものだと書かれていて確かに私たちにはとても必要だと思いました。 
 今現在戦争はなくなりましたが災害大国の日本では地震や大雨によってたくさんの人が亡くなり、家族を失い衣食住が無いという被爆者と変わらない状況に置かれている人が数えきれないほどいます。そんな状況の中でも被災地の人々が希望を捨てずに生きられるのはボランティアの方々の支援や被災者同士の助け合いによって暖かい心に触れたおかげだとテレビ等を見て知った時を思い出したからです。

  また、関連した本として私は石井光太さんの「広島を復興させた人びと 原爆」を読みました。この本は原爆が投下されてからいかにして広島の街を復興させたか、特に活躍した四人の人物の功績を記した本です。広島の街を元通りにするだけでなく、未来のために私たちに「平和」というバトンを渡すため力の限り尽くした姿が印象的でした。もう被爆者が数少なくなってきている現在、間接的に話を聞いた私達が過去の事実を語るのと当事者が語るのでは言葉の重みが全然違います。だからこそ物や建物、そして記憶を残そうとした人がいたことは私たちにとって有難いことだと感じました。

 最後にこの二つの本を読んで共通して思ったことは「直接見て、聞いて知ることの大切さ」です。結局私は今も本からの間接的な情報を仕入れただけにすぎません。著者たちは自ら被災者に話を聞き、戦争の残酷さや人々の強さを目の当たりにしたことでたくさんの学びや発見をし、様々な感情を抱いたと思います。私はそれがとても羨ましいです。生命論の活動では恐らく実際に話を聞く機会があるのではないかと思います。「将来医療関係の仕事に就きたいわけでもないのに何故生命論を選択したのか」と聞かれたときに返答に困ったことがあったのですが、今後一年間の活動を経て活動内容の理解を深めるだけでなく、何の事柄においても生の声当事者の声を大事にできる人になるため。と本を読んで答えを見つけることが出来ました。そして一年後自分がそんな人になれていることを願います。