ヒロシマノート   T.K

                                 
 この本を読み終えて感じたのは、得体の知れない不安だった。この本の初版は一九六五年。半世紀以上も前に執筆された文章なのである。いったいこの本から私は何を読み取り、何を考えなければならないのか。そのために、まずはこの本で繰り返し使われる「広島的な」という言葉の定義を考えてみようと思う。
 まず、どのような人が著者にとって「広島的」なのだろうか。初めに広島的という言葉が出てくるのは、プロローグの二ページ目。一九六三年、広島で第九回原水爆禁止世界大会が開かれた。それは著者の予想とは異なり、初めて広島を訪問した彼を失望させた。しかし同時に、「真に広島的な人間」によって勇気づけられたとある。著者にとって「広島的な」人間とは、広島の唯一の希望なのかもしれない。
 具体的に広島的な人間として挙げられているのは、原爆病院の院長の重藤文夫氏だ。彼は、原爆が落とされた一九四五年八月六日の約一週間前に広島に赴任した。そしてあの悪夢のような惨状を目にする。奇跡的に無事だった彼は、日に日に増加する被爆者の対応に追われる。また、不可解な爆弾の本質を探っていく。彼は、増加する白血病患者への治療や原爆症の発見など、広島の為に精一杯働いた。彼はまさに広島の人間である。二十年もの月日が経っても、ずっと原爆に向き合って生活しているのだ。自身も被爆者であるにも関わらず、周りの恢復の為に精一杯を尽くす。これは「広島的な」人間の1つの特徴であろう。重藤氏の他にもたくさんの人物が「広島的な」人間と呼ばれている。それらの人たちに共通するのは、広島で被爆し、その最悪の状況の中でもなお、原爆と戦おうとする姿勢を持っているということではないだろうか。
 次に、「広島的な」人間とされる人たちが語ることを、取り出してみようと思う。《…広島の人間は、死に直面するまで沈黙したがるのです。……原水爆反対とか、そういった政治闘争のために参考資料に、自分の悲惨をさらしたくない。……一日かぎりの広島での思想家には理解できぬのは当然です》これも本を読み始めてすぐに出会う文章だ。著者のエッセイに寄せられた広島の人の声である。広島の外の人間への痛烈な批判が感じ取れる。広島の人間は、広島で起こったことについて唯一沈黙する権利を持った人たちなのである。それなのに一日かぎりの広島への訪問者は、広島であった惨劇を知ろうとする。もちろん広島であったことを後世に残し伝える為である。彼らの多くはもう二度とこのようなことが起こらないように、という善良な心を持った人たちだ。しかし、それは被爆者の心には寄り添っていないということになる。理不尽だが、これが現実なのだ。
 もう一カ所、印象に残った部分がある。それは金井利博氏(中国新聞論説委員で、原水爆被災白書を計画した)の言葉である。《アウシュビッツナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の実態は、世界的に広く知られている。しかし広島は、アウシュビッツをこえるほどの人間的悲惨でありながら、しかも、ふたたびそのような悲惨の結果する危険が現にありながら決して十分に知られているというわけにゆかない。》半世紀以上前に書かれた文章だが、今でも多くの人の共感を得られるだろう。今の世の中に、ほとんど原爆を体験した人がいなくなってしまった。新しい世代が世界を支配している。そして、核爆弾の保有が世界各国の闘争を起こしている。これは、今の世の中への警告なのではないかとも思える。原爆が世界に知られていても、それは威力として知られているのみで、広島の人々がどのように苦しんでいるかはまだまだ知られていない。もっと人間的悲惨を知ること、それでもなお生き続け過酷な経験を語り継ぐ人たちの話に、耳を傾ける。そして、彼らの側に立って原爆に向き合うことが必要なのである。
 まとめとして、この本から私が考えたことを述べる。まず、私はこれまでも広島で起こったことについて十分に学んできたと思っていた。それは受動的なものだったが、たくさんの悲惨な話を聞いて、心の底からもう二度と同じ過ちは起こさないでほしいという気持ちは持っていた。しかしこの本を読んで、まだ私は広島で起こったことに対してきちんと向き合うことが出来ていなかったということに気づいた。具体的に述べると、私たちは今まで当たり前のように被爆者の話を聞いていたがそれは少しも当たり前でないということだ。被爆した人たちも私たちと同じ人間なのだ。悲惨な地獄の記憶を、私たちに語って下さることに本当に感謝しなければいけないと思った。彼らは地獄を生で見た唯一の人たちで、そのことに対して唯一沈黙する権利を持つ人たちだ。しかし、普通ならもう耐えきれずに屈してしまうようなことに立ち向かい、それを乗り越えた。そして、後世の為に、原爆の人間的悲惨さを伝え、もう同じ思いをする人を作らないでほしいと語る。彼らの一言一言に重みがあり、私の心に深く刺さった。彼らの勇気、強さ、威厳といったものを尊敬しないでいられるはずがない。
 この本を読んで、本当にハッとさせられることが多かった。本当に広島について考えるなら、広島で被爆した人たちも私たちと同じ人間であることを忘れてはいけない。